「生協の白石さん」を読んで
先日いつもの大学近くのカフェでブログのネタを考えながらくつろいでいると、隣のテーブルに座っている女子学生4人が何かを囲んでくすくす笑っていた。何で楽しんでいるか後でマスターに聞くと「生協の白石さん」を読んでいたようだ。そこで何気なく私も後で読んでみることにした。確か読みいってしまったが私は、白石さんの回答よりも、彼の言葉として自分の心境を書いてあるコラムのコーナーで人柄を感じた。
白石さんの回答が掲載される学生の要望を答える掲示板はどこの大学生協でも大抵ある。私の大学の生協でもあるし、図書館にも学生からの要望を掲載するコーナーはある。先日訪れた女子大や短大でも学校の教務部(大学の統括)にも「自転車の駐輪所を広く」「喫煙コーナーを増やして」といった学生の要望に対しての答えが掲載されていた。今までは気に留めなかったから気づかなかったかもしれないが、結構あるものである。それぞれの掲示板の回答は担当者が丁寧に対応している事が分かり、人柄が伝わってくる。
これはある意味「白石さん効果」なのかもしれない。あの掲示板でのやりとりの姿勢と必要性がブログや書籍を通じて広まったと思う。しかしながら彼ほどユニークに、でもさりげな自分の部署(生協)をアピールする回答には中々出会えない。だから読んでいても思わず笑いが出たり、唸ってしまうのだろう。
どうしてこうした掲示板が話題になって全国に広がったのだろうか。私は大学の環境とネット社会の要素が絡んでいるように思う。私の大学は地方の大学だが学生の数も4000人を超える。県内の市町村でも4000人も住んでいる自治体は少ない。だからちょっとした町ともいえる。でも大学の学生は毎年入っては出ていくから新陳代謝は激しい。友人の数は100人を超える学生はあまりいないだろう。知っていても同じサークルやゼミの人ぐらい。教授も自分の関わっている教授以外は同じ学部であっても知らない。人こそ多いが知り合いは少ない閉鎖された社会である。
そんな顔を知らない環境だから要望もなかなか訴えにくい。そこで掲示板は一種の目安箱のような役割で設置したのだろう。普通は単なる要望と答えであって、白石さんのように答えない。でも学生は大学という中で誰かとのつながりを求めている。それが遊び心があいまって、ユニークな投稿となったと思う。
普通はそういった類の投書には対応しない。でも書いてくれた人にきちんと対応しようとする白石さんは丁寧に回答し、彼と学生とのコミュニケーションが掲示板を通じて出来ている。白石さんの人柄と人とつながっていたい学生。そこで交わされる掲示板でのコミュニケーションは、誰も知らない環境の中でも、人は誰かとつながり、交流をほしがっている証拠だと思う。
掲示板に投稿する学生と白石さんの回答。そして掲示板を見る学生。このやりとりの関係はネットの掲示板の要素と同じだ。掲載される文章も短く、匿名で書き込みが出来て、しかもみんなに見てもらうことが出来る。見る人もその内容を楽しんで、新たに投稿するだろう。だからネットに慣れた学生にすぐに受け入れてもらうことができ、話題になったと思う。
そして、白石さんを有名にしたのもネットである。ブログで白石さんの回答を取り上げ、大学以外の一般の人も知るようになり、本まで出版されるようになった。まさにネットに慣れた学生、大学の環境がミックスして成り立っているシステムだと考える。
ネットであっても掲示板であっても人とのつながりにたどり着き、楽しい話題を人が求めているのはいつも変わらない。こうした点はデジタルでもアナログでもない人間性なんだと読み終えて「生協の白石さん」を今更ながら読み終えて感じた。
最後まで読んでいただきありがとうございました。お気軽にコメント・トラックバックでご意見をお寄せ下さい。では次回のお越しお待ちしております。
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