ecoとはego
最近は企業も環境に配慮していることを盛んにアピールするなど、地球環境に対する意識は高まりつつある。よく持続的発展というキーワードも耳にするようになった。つまり、今の社会の仕組みを維持したまま、環境の負荷を考えた仕組みをつくり、次の世代まで発展できるようにすることである。たとえば自動車などの分野では環境配慮型のハイブリッドカーや燃料電池車などの開発では日本は先端を走っている。GMがあそこまで経営危機に陥っているのもひとつには、燃費の良い日本車に押されているからである。
しかしこうしたエコロジー技術が進めば進むほどよくないという論調もある。たとえ再利用や再資源化の技術であったり、環境配慮型の商品が登場しても所詮は大量生産大量廃棄の社会モデルを続けているに過ぎない。むしろ大量廃棄社会の汚点を埋める技術として、こうした技術優位の考え方が進むことが危険だということだ。
確かに水素を燃料とする燃料電池の技術はかなり進んでいるが、その原料は石油である。その点で従来の化石燃料依存のモデルとなんら変わらない。エコカーも、導入が進めば進むほど道路が必要となり、社会的負担が増すばかりである。本当は自動車自体を規制し、公共交通を発達させる方が持続性がある。
どこかで量を追い求める形の社会はやめなければならない。もちろん技術でリカバリーできる点はすればいいし、進めばいいがどこか今は技術に解決策を求めすぎていないだろうか。地球温暖化防止の取り組みであるCOP3(京都議定書)では二酸化炭素の最大の排出国であるアメリカは批准していないし、現在でもある程度排出し、これから増加するインドや中国は発展途上国として扱われているので、参加しなくていい。こうした議論を見ると、どこを基準にするのか。先進国も今のスタイルを変えないと、途上国はついていけない。
「地球に優しい」なんてよく言うが、北野武は「人間がいなくなるのが、一番地球にやさしい」と発言したことがあるが、誰もがうなずくだろう。エコロジーを進めるほど、人間のエゴが容認されていると感じるのだが。「環境配慮型」なんて流暢なことを言っている間はできないだろう。
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コメント
コメントありがとうございます。究極のエコは人が消えることという発言は私にも衝撃的でした。でも考えてみると日本は人口減少社会に入っていますから、一人ひとりの環境負荷を減らせば、それに近づいてくるのではないでしょうか。技術的に今の負荷を減らすことも大事ですが、やっぱりどこかで量を追い求める社会を転換していくべきだと思うんですね。その点で日本はいい環境にあると私は思います。また気になる記事がありましたら、トラックバックさせていただきますので、気軽にコメントを書いてくださいね。
投稿: Nipper | 2006年3月11日 (土曜日) 08:55
トラックバックありがとうございました。
たしかに「人間がいなくなるのが、一番地球にやさしい」ってのはそうかもしれないですね。究極ですけど。
投稿: ぶろぶろぶろぐ | 2006年3月10日 (金曜日) 23:56