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2006年9月

2006年9月27日 (水曜日)

思ったようには

 私のデスクは書類が本当に山のように積まれています。(単に仕事が忙しいのか、整理整頓が苦手なのかを置いておいて・・・)

 その昔ITやネットワークが整備されると伝票や書類がペーパーレス化されて、紙の需要が減るという予測が出されたと事がある。確かに手書きの書類は格段に減って、ペンを握ることは以前に比べて少なくなったように感じる。

 その一方で紙の需要は減っていない。単純に体感だけでなく、数値としても結果が出ている。http://www.jagat.or.jp/story_memo_view.asp?StoryID=7777

 データを入力したり、あるいはwebを印刷したりと、画面よりも紙の方が見比べやマークをつけたりと便利だから減らないのが理由ではないだろうか。

こうした傾向は何も紙だけではない。レコードはCDに駆逐されたように思われるが、アーティストが限定版でリリースしたりしている。事実CDを作ったソニーもレコードプレーヤーの生産を再開しているぐらいだ。物事には一方の流れに傾くように見えて、そうではない流れがあるようだ。

自動車社会と呼ばれ、あまり体を使う機会が少なくなれば、あえて体を動かす自転車やジムやヨガが流行る。東京では街中の公園でサラリーマンが昼休み鉄棒などの遊具で体を鍛えているグループがあるそうだが、まだ大八車が走っていた大正時代のサラリーマンがそんなことはしなかったと思う。他にも印刷で手紙できても手書きが廃ることはないし、去年には絵手紙がブームにもなった。

 物には例えば自転車が自動車に置き換わるように、機能が新しいモノに移行することある。

しかしそうならず、残る場合にはモノが持つ本来の価値が見直される場合がある。さっきのレコードはこれに当てはまる。CDにはないレコード独特の音が好まれている。手書きの良さもこれと同じだ。

一方模倣品が出回ることで、本物の価値が高まることもある。例えば店のラーメンを模倣したインスタントラーメンがあれだけ出回っているからこそ、日本中にラーメン店があって、ご当地ラーメンが出ているだろう。その他にも偽物のブランドであっても欲しいと思って買ってしまうから余計に本物を持っている人が羨ましく、また欲しくなってしまう事はよくあると思う。

 「物事は一方だけには進まない」

っていう法則があるように私は思いますが、いかがでしょうか?

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2006年9月26日 (火曜日)

変わり目の感触

 今日電車に乗り込んで、手すりに触れた瞬間、小さかったが「バチッ・・・」という感触が。そう静電気が走ったのだ。今日は秋晴れでしばらく雨も降っていない。それに私はナイロン製の長袖のシャツを着ていたので9月でも感じてしまった。そろそろ寒い季節がやってくるのだと感じた。

 季節の変わり目を何で感じるかは人によるが、私は風邪や静電気といった自分の身近な出来事から感じる。

 高知のように南にある地域は秋や冬の昼間に動くと少し汗ばむ。その一方で、日がかげり始めると急に風が冷たくなる。だから服装に困ってしまう。朝は上着が必要だが、昼はは邪魔になるし、汗をかいてしまう。だからといって着なければ夕方はまた寒くなる。こんな毎日になると風邪を引いてしまう。今のところは大丈夫だがこれからが要注意だ。

 いやなことがある反面、昼間は過ごしやすく外で過ごしたくなる。今度カフェのテラスで休みの日にでも本を読みながらゆっくりしようかと思う。おいしいモノもたくさん食べたいし。でもお金とお休みがあればの話ですが・・・

 赤く染まった夕暮れを眺めながら、そんな事を考えながら家路を急ぎました。みなさんは何で秋を感じますか?

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2006年9月24日 (日曜日)

ちょっとだけだった・・・

 福岡で発生した飲酒死亡事故。以前からその危険性を指摘されながらも再び同じような事件が繰り返されている。これは日本だけに限らず、欧米でも対策がなかなか進まない問題である。

 北欧の国フィンランドでは行政が使用する公用車ではドライバーが息を吹きかけないとエンジンが始動しないシステムが採用されているとか。

 私が見てびっくりしたのはフランス政府の事故啓発のCM。日本の政府CMは少し固さが感じるが、フランス政府CMの衝撃さはずば抜けています。

「video1.wmv」をダウンロード

 まあ、ちょっと出し過ぎていたのでしょうけどね。このCMの効果もあるのかフランスではこの4年で交通死亡事故が30%も減少したとか。やはりこれぐらいしないと効果がないのかもしれません。

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2006年9月21日 (木曜日)

ハイじゃなくなる日

 別に気分じゃないですよ、ご心配なく。

古い新聞の記事を探していると、その時代の色々な広告が目に入る。車でもデザインが違っていたり、テレビはまるで家具の木で覆われていたり、ポットはやたらとバラがデザインされていたりと・・・・どこかで見たことありませんか?

その中で一番びっくりしたのはテレビの広告。キャッチコピーは「総天然色テレビ」

 天然色?つまりカラーということですね。1960年からカラー放送が始まったわけですが、その当時カラーテレビはものすごく高く、今の月収に換算すると薄型テレビを買うよりも大変だったそうで・・・http://kagakukan.toshiba.co.jp/history/1goki/1960tv/index.htmlほとんどの方は従来の白黒テレビを見ていたそうです。

 現在ではカラーが当たり前になり、カラーテレビ、天然色テレビとは呼ばなくなりました。例外的にNHKの受信料の領収書にはカラー契約とありますが。

 現在放送されているハイビジョンも今のテレビに対して画質が良い意味でハイと名付けられているわけですから、デジタル放送に移行し完全普及すれば、カラーテレビ同様ただのテレビになるのかもしれません。その頃には録画規格もブルーレイとHD-DVDいずれか、白黒ついているといいのですが。

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2006年9月19日 (火曜日)

ひとりだけ

 私のお気に入りの映画の中には考えさせられるフレーズがいくつもある。

 例えば患者と医師が病院の屋上でベンチに座りこんなやりとりをするシーンがある。

患者「(新聞を読みながら)老人の孤独死か・・・、先生孤独死って変じゃない?」

医師「変って、何が」

患者「だってさ人間死ぬときに何人に見守られても、自殺したって一人で死ぬじゃない、だからいつも孤独死じゃないの?」

医師「そっか・・・一人だよな、みんな死ぬんだから。終わりがあるから生きていける」

 老人の孤独死、私も何度もこの言葉を耳にすることがあったがこんな考えをすることはなかった。死ぬ時は一人だ。物事は結果が出るまでは、その間の甲藤や現実はあまり公にはされない。

 人が死ぬことで周りが騒ぐ。そして孤独死という言葉でかたづけられる。しかしその前に一人で生きていく淋しい日々が亡くなった人にはある。最近高齢者への生活保護費の減額された。そのため食費と通院といった出費で生きるのが精一杯の高齢者が増加し、一人誰もいない家で過ごす高齢者のドキュメンタリーを見た。話す相手さえおらず、一人部屋の中でじっと一日が過ぎるのを待つ日々はあまりにも苦痛に見えた。

 日本は先進国の中で初めて人口に占める高齢者の割合が20%を超えた。わたしが見た高齢者ばかりではないが、自己負担の増加で作業所に通えなくなった障がい者、介護プランを作ってくれる人への報酬が打ち切られたため、ヘルパーさんの派遣がされなくなった独り身の高齢者など、社会的弱者への風当たりは厳しい。

 死ぬときは一人でも、生きているときには一人だけでなく、多くの人と接し刺激を受けながら、人と関わりを持つことで自分を高めていく、そんな人間らしい生活が送れるようにするべきではないか。孤独死という言葉からそんなことを考えさせられました。

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2006年9月18日 (月曜日)

白鳥とカルガモ

 人の行動はそれぞれ違うが、いくつかのパターンに分類される。今回は私の持論である「白鳥とカルガモ」のお話をしたいと思う。

 白鳥といえば冬場越冬の為にシベリアなどの寒地から来る渡り鳥です。そのためいくつもえさ場を持っていて、一ヵ所に留まることはりません。一方カルガモは夏場も日本に留まり、ペアーでいつも行動することはご存じだと思います。このふたつの行動パターンはそのまま人にも当てはまります。

 よく女性のグループを見ていると、いつも同じメンバーで行動しているパターンが多く見受けられます。いわゆるなかよしグループです。講義に出席するとき、食事を取るとき、バイトやサークル、はたまた休日までいつも同じ人たちで行動しています。こうした人を私はカルガモタイプと分類しています。こうしたパターンの人は他のグループの人、特に自由にグループを行き来する人に対して、自分がそうできない思いも込めて裏でこそこそすることも多いように思います。そうした人に限って社会や他のタイプの人間に対して無知な面が多い。

 一方行動派の人間に多いのは白鳥タイプの人。自分のメインの居場所以外に、仕事や遊び仲間など、白鳥のようにいくつも池(活動場所)を持っています。こうした人たちは自分の好きなことを自由にやる人が多く、友人も多い。

 しかし、白鳥タイプの人でもやっぱり仲のいい人と接する時間が長く、自分のことを棚に上げて色々人のことをとやかく言っていると、だんだん羽が退化してしまっていつの間にかカルガモになっている人もいます。

 自分の居場所が一つだけだと、悩みを忘れる場所がなかったり、あるいは新しい刺激が入ってくる事も限られてしまいます。常に自分のことを高めていきたい(あるいは人生を楽しんでい)人は白鳥のように大空という世界を舞って、優雅に池という居場所を楽しむと私はなんとなく感じます。あなたはどっちに当てはまると思いますか。

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2006年9月16日 (土曜日)

追いかけてくれるから

 昨日はリーダーシップの意味を、部下がついて行こうと思うかという内容で紹介した。これは何もリーダーだけでなく、色々な点にも言えることである。例えば国同士ならどうだろうか。

 よく先進国と後進国(あるいは発展途上国)という表現で国を比較することがある。日本ならアニメやテレビゲームといったポップカルチャーの先進国だろうか。スウェーデンなら年金や医療の先進国。アメリカは・・・世界の先進国?それぞれ色々あると思う。

 では何で日本はアニメやゲームは世界中で受け入れられただろうか。よく考えていると元々はアニメも漫画も、テレビゲームの作品は日本人が楽しむために作った作品ばかりだ。そして次々消費するから新しい作品が生まれてくる。そのおもしろさが知れ渡りアジアだけでなく、ヨーロッパやアメリカでも幅広く受け入れられている。つまり日本のアニメや漫画の作品を追い求めるから、日本が進んでいるように感じる。

 先進国とは他の国がついてきてくれるから先に進んでいるように、あるいは追いかけてくれるから、向かっている方向性に対して先に進んでいるように見えているだけである。誰もついてきてくれなければ先に進んでいるようには見えない。例えば着物は日本人しか普通は着ない。つまり誰もマネしてくれないから、日本の中だけで留まって特に先進性は感じない。

 昨日総裁選に出馬している政治家の言動に対してリーダーシップを感じないと書いたが、アジア各国が日本の国際政治の姿勢について行きたいと思えるシップも感じていない。だから日本の存在感は国際社会の中でもどこか薄い。そして日本の政治手法をまねたいと思わないからアジアの真の先進国になれない。経済では一流の国に日本はなることができた。次はもうそろそろアメリカのシップについていく、あるいはアメリカを先進国として追いかけてばかりいるのでなく、本当の先進国や国際舞台でのリーダーシップとは何か?といった視点を持つことが大事ではないだろうか。

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2006年9月15日 (金曜日)

シップはあるかな

 事実上首相選抜選挙である自民党総裁選は、投票前からほぼ安倍氏で決まっている。そのせいだろうか、前まであれほどメディアで報道されていたのに、告示後になるとめっきりニュースの表には出なくなってしまった。選挙をする前から当選者と、だいたいの票数が読めるぐらいだから地縁血縁で票数が決まってしまう田舎の首長、議会議員選挙のようである。

 3人の候補者を見ていて思ったのは、どの人にもリーダーとしての能力はあるかもしれないが、さらにその上のシップがないように思った。

 リーダーとリーダーシップ。このふたつはトップに立つ人間として必要な要素である。しかし決定的に違うのは、リーダーはその人自身で出来ることだが、シーダーシップはそれについていく人が決めるモノだから本人ではどうすることもできないということである。

 頂点に立ったリーダーがすることは、組織を作りそこに権限と人員を配置する。総理大臣なら大臣を指名し、担当課題を与える。これはリーダー自身しか出来ないことである。この時にリーダーにビジョンがあるかないかが、頂点に立つ人としての資質を見る一つの指針である。今回の候補者は、一応美しいとか経済成長とかキーワードぐらいは持ち合わせているようだ。

 しかしその後はリーダーシップが問われることになる。そもそもリーダーは分かるがシップは何を示してるだろうか?辞書では任務や指導権、資質とある。どちらかと言えばリーダーが発揮する要素もあるが、周辺の人の印象も大事である。本人が統率力があると思っても、部下がついて行かないと統率はとれないからである。

上から命令されると部下は当然動きます。同じ仕事の内容でも人間関係で、部下はイヤイヤ仕事をする時もあれば、はりきって(あるいは割り切って)仕事をします。この差が私はシップではないかと思います。つまり上の人の人間性や能力に尊敬を持ったり、理念に共感できたりすれば、たとえ大変な仕事であっても「あの人だから、やろうか」という心境になる。これがリーダーシップの威力です。

同じような言葉でカリスマやオーラなどがありますがそれも同じような要素を持っています。本人は別にカリスマ性を発揮しているとは思っていません。周囲の人がそう思っている、あるいは思わされているのです。

今回の総裁選の候補者は総理大臣になるのですから、国民に対してリーダーシップを発揮することが求められます。果たして国民がついていきたいと思わせる総理候補でしょうか。みなさんはどう思いますか?私は残念ながら、コイズミほどシップは持ち合わせていないように思いますが。

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2006年9月13日 (水曜日)

どっちを取るか?

 都会と田舎の違いは何ですか?と質問されてあなたはどう答えますか?

  • 人がたくさん住んでいる。
  • 山や海といった自然よりもビルやコンクリートの人工物で出来ている
  • 欲しいモノが手に入り、仕事や遊ぶ場がある

 人によって色々な答えがあると思います。私がなるほどと思った答えはちょっと視点が違っていました。

 それは「プライバシーがあるか、ないのか」という事。おもわずなるほどと思いました。

 現代の生活は多種多様な商品やサービスが提供され、私たちはそれを消費することで生活をしています。当然それぞれの価値観で選ぶ訳ですから徐々に生活スタイルや重要視するポイントがバラバラになってきます。その多様性が都市の魅力になります。

 しかしその一方で色々な人間が来る事で価値観や習慣が異なっていたり。カルチャーショック程度であればいいが、下手をするとトラブルも起きる。だから集団としてのまとまりは取りにくくなり、個人の生活を大事にすることになる。

 個人を大事にするときにも、同じ価値観の人ばかりでないから、お金という共通の価値観で解決する。つまり保険を支払ったり、警備会社のサービスを受けたりと。こうして個人の生活やプライバシーを守る。

 一方田舎では色々なサービスをお金を支払って受けているのは都会と同じだけれども、人口が少ないからメンバーが誰なのか分かりやすい。さらに仕事先も限られるから生活パターンも比較的近くなる。そして共同で作業する事で生活していくから、個人よりも集団としての団結が必要になってくる。例えば地域のお祭りや農作業などで。

 その結果田舎ではプライバシーは成り立たない。町を歩いていても大体あの人はどこの家の人といった具合で分かる。

 田舎の強さはプライバシーがないのが保険の代わりになっているからいざという時に助けてくれることがある。それはお互い顔見知りだから。実際外出でも鍵をかけない所も多いし、私が驚いたのは実家で留守中に雨が降って帰ってみると近所の方が干しっぱなしにした洗濯物を取り込んで玄関に入れてくれていた。もし都会でこんな事をやっていたら、住居不法侵入で訴えられるかもしれない。

 プライバシーが保障される代わり保険を支払う都会暮らしか、あるいはプライバシーはないけれど、いざという時に団結のある田舎暮らしか。団塊の世代で定年退職後は田舎に移住したい人がおおいらしいが、そんな所を求めているのかも知れない。

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2006年9月10日 (日曜日)

なるほどの公式

 男×車=1 ちょっと変わった公式。

 この意味を解説すると、1というパイは変化しないその中での男と車のバランス関係を表している。

 自分に自信がない男ほど、車に走り気味で改造をしてみたり、あるいは爆音を鳴らして注目を浴びてみることで、普段の自分に対する劣等感を解消するらしい。改造をしなくとも外車であることを自慢する人も同じ。

 でも男性としての品格ができると、むやみやたらに自慢をせず車を楽しむ。

車というのは人を映し出す。例えば運転をすると普段おとなしい人でも、他の車をあおってみたり、スピードを出してみたり・・・大きなモノを操る喜び、あるいは優越感など色々あるが、何か特別な要素があるのだと思う。今日も爆音を鳴らして走っているドライバーを見かけた。勿論車はピカピカであった。車を磨くより男を磨く方がいいような気がするのは私だけだろうか。

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2006年9月 8日 (金曜日)

働き者

 昨日は先月に新しいDVDレコーダーを導入してから初めて、ハードディスクからディスクに移し替える作業を徹夜で行った。映画やライブからドキュメンタリーまで普段の時間帯に見ることができないから録りだめしておいたが、あまりに溜まりすぎてついにハードディスクが一杯になってしまったからだ。

残念ながら今のDVDではハイビジョン放送の画質のままをディスクに記録できない。そのためハイビジョンの画質で残したいコンテンツはそのままの画質で移せるD-VHSに、とりあえず画質が低下しても残しておきたいのはDVDへと引っ越しをした訳だ。

 来年ぐらいから本格的に次世代DVDが普及し、ハイビジョン放送をディスクに記録できるようになるそうだがむしろ私は、録画した番組を見る時間が欲しい・・・(^_^;)

いくらハードディスクに記録できる時間が増えても一日は24時間。もう少し一日が長ければと思いつつ、結局は伸びた時間分だけ余分な仕事が増えるんだろうから、伸びない方がいいと悟りつつ作業を完了させました。

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2006年9月 5日 (火曜日)

今日出会った名言

 今日はこんな言葉に出会いました。

「悲劇は極致に達すると喜劇に変わる」 チャーリー チャップリン

 確かに極致に達すると普通考えると無理な内容でも、笑って引き受けてしまう事、勢いあまってものすごい展開を考えてしまうことがある。でもその寸前は失意のどん底にあったり、疲労の限界(徹夜の徹夜を繰り返した作業など)で絶望的な状況だが。

あまりに度が過ぎてしまった時の笑いというのは、小さな事にくよくよせず、大局的に物事を見ることが出来るようになり、人を変えるのかもしれない。もっと分かりやすくすると、すべての要素をプラスにしてしまうようだ。おそらくこの言葉を発したチャップリンは笑いの力、本質に気づいていたのだろう。だからこそ彼の死後も愛される作品を生み出したと思う。

 日本でも「笑う門には福来たる」ということわざもあるが、哀しみの絶頂まで達し、笑いという峠を下るとすべてが明るく感じられ、その笑いが次ぎの幸福を呼び込むのかもしれない。

そういえば不安や哀しみといったマイナスの感情を時々感じるが、笑いという境地まで達していない。いつになったら際限ない苦痛は続くのだろう。これは一生つきまとうことかもしれないが、今は先が見えないが笑いという峠にさしかかったら人生が一気に明るくなるのかもしれない。そこまで至るにはどうやら、今の私ではしばらく時間が必要なのかも知れないとこの言葉に出会って感じました。

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2006年9月 4日 (月曜日)

ONとOFF

 私の日曜日は、いつも録りだめしておいた番組を早回しでチェックすることから始まる。経済や国際情勢、ドキュメンタリーからバラエティーまで放送時間帯には見ることができないので長宝している。しかし平日の疲れと日曜日のお休み気分も手伝っていつの間にか寝てしまう。そんな経験はみなさんあると思う。パソコンに向かっている時には寝ることはないのだが、どうしてもテレビを長時間見ることができない。なぜだろうか?

 私はパソコンを使うときの姿勢とテレビを見るときの姿勢が違いが関係していると思う。これは両者の使い方の違いからきていると思う。

 テレビを見るときイスに深く腰掛けたり、あるいは壁にもたれかけたり、寝転がったりと見る人間はリラックスして向かう。これは映画と同じで流れてくる情報を受け取るだけでいいからそうしている。体はどちらかと言えばOFFのモードになって映像を楽しんでいる。

 一方パソコンは受け手にも送り手にもなれる。キーボードで情報を打ち込んだり、あるいは検索して画面を見る。そんな時、みなさんの姿勢は少し前のめりぎみになってないだろうか。おそらくテレビを見ている時のように後ろにもたれていることはないと思う。つまり姿勢はONのモードになっている。

ただし10分以上の動画を見ているときは違ってくる。私の場合だとイスの背もたれが後ろに下がるのでどちらかと言えばテレビを見ているときの姿勢に近い。あるいは考える人のように手にアゴをのせて唸ってみたり・・・。少しリラックスしていると姿勢がOFFになってくる

 以前テレビはパソコンに吸収されるのではといった見方があった。確かにブロードバンドの普及があったり、録画ができるパソコンもあるいが、今でもテレビは健在だ。むしろ薄型テレビのおかげでリビングの主役として君臨している。一方テレビにインターネット機能を搭載したモデルやリモコンを使ってネットワークを介してサービスが受けられる機種が発売されているが、こちらもあまり普及していないし、使っている人の話も聞いたことがない。

テレビとパソコンが完全に吸収せずに両方とも残っているのには、人が楽しむ姿勢のONとOFFを使い分けている要素があるのかも知れない。OFFになっているからテレビを長く見ているといつの間にか寝てしまうのかと、番組チェックが終わって感じました。

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2006年9月 2日 (土曜日)

歯みがきプロジェクト

 私が最近見つけた社会貢献活動が「歯みがきプロジェクト」だ。

 この活動は、あるアナウンサーの方がボランティアなどの奉仕活動を通じて、一般の人がホームレスの問題に、小さなきっかけを元に考え行動するチャンスを作り取り組みたいという考えの下で、歯ブラシを一般の方に購入してもらい、ホームレスの方に無償で配布する活動を進めている。

 意外だと思ったのがホームレスの方の公衆衛生状況の悪化が、普段の暮らしだけでなく、就職などの社会復帰のネックになっている事を、この活動から初めて知りました。もっと活動が広がることを期待して、リンクをのせておきます。関心がある方はぜひご覧ください。

 http://www.tokyo-homeless.com/ 東京ホームレス

 http://chinamin.ameblo.jp/ ブログ版 東京ホームレス

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 PS,普通アナウンサーって芸能人やスポーツ選手との話題などどちらかと言えば真面目な話題は少ないと思うが、この方の活動には関心しました。特にヒルズ族なんかとちゃらちゃらしている人には見習ってもらいたいものです。

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2006年9月 1日 (金曜日)

幸運も実力

 棚からぼた餅ということわざは何も努力しなくとも幸運に恵まれていることを示している。運も実力の内ということもあるし、そうかなと思っていたがある方のお話から少し物事の捉え方が変わったことがあります。

 そのことについて話してしたのは、お亡くなりになったが、ある有名な政治家。戦前から戦後にかけて中央官庁の役人であった。その方が官僚時代の先輩について語っていた。

その先輩は頭脳は明晰で出世街道をまっしぐらに進んでいたのだが、当時有力な政治家と距離が近いために「棚ぼた男」という言われ方をされたそうだ。しかしその方はこう反論する。

 もし棚からぼた餅が落ちてきたとしてもそれがおでこに落ちても仕方がない。つまり口にはいるよう必死になって下で踏ん張っていなければならない。確かに幸運は一度は巡ってくるかもしれない。しかし二度目、三度目はないだろう。

後から振り返ってみて、結果的に幸運に恵まれていたとしても、その裏側に本人の隠れた努力がある。努力をしているから運が味方につくのであって、その逆はないのだと。

 私は昨日、今日と松山で色々な方の話を伺った。例えば現在の大学での研究活動、あるいは地域における活動やサークル活動。内定者同士のコミュニティーなどなど。その中で私はなぜそのような事をやろうと思ったのか、あるいはどうやってきたのかという、人の思い、考え方を中心に話を聞いていた。

人の活動はとても見えやすい部分である。レポートや写真、話を聞けば内容は理解できる。しかしそれは人にとって水面の上に出た氷山の一角でしかない、つまり海の下には見えない大事な所がある。それは人の思いや価値観、アイデンティティーではなだろうか。それが基礎になって具体的な行動という形が現れる。

 しかし自分だけで出来ることは限られている。例えば街づくりでは地域の人の協力が必要であるし、研究活動には企業・行政・大学関係者の協力が必要になる。今日松山で伺った人の話では、様々な人の協力、あるいは環境に恵まれていたという要素が強くでていた。それは単に運が良かったのかも知れない。

ただその裏で、自分が進んでいる方向性や将来性への不安を常に抱えている。しかし課題に対して正面から立ち向かい、日々努力を重ねているからこそ、少ないチャンスの中で自分の考えや行動を示すことが出来き、理解してくれる人、あるいは協力してくれる人が現れ結果に結びついたのではないかと思う。決してラッキーだけでは片づけられない要素があったように思う。

 そんなチャンスを生かそうを努力してきた方々ばかりだったから、私のような人の話でも耳を傾け、質問に答えてくれたように思いました。そんな謙虚な姿勢と思いから学び、私も自分に巡ってくる少ないチャンスを生かせればと考えさせられました。

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