きょうの名言
「経験とは恐怖の解毒剤である」
なるほどね、慣れってホント怖いからねえ(^_^;)
人にとって最大の恐怖は「死」。その理由は解毒剤がないからだと、この名言から感じました。
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「経験とは恐怖の解毒剤である」
なるほどね、慣れってホント怖いからねえ(^_^;)
人にとって最大の恐怖は「死」。その理由は解毒剤がないからだと、この名言から感じました。
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昨日の話題の続き・・・
そんなに難しく考えなくても、○○姉妹をみればよく分かる。一つ一つのパーツはよく出来ているかも知れない。でもトータルで見ると不自然さが明らかだ。あまりに出来すぎているから変に見える。まあ、その過剰さが彼女達の売りだから仕方ないのだが。
美しさを追求して、整形(改造に近い?)しているのに、美しく感じられない・・・人間の認識とはこんな程度だろう。
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事件が発生し、捜査をする時に必要なのは犯人の姿や人相である。その際に使われるのが似顔絵である。時々コンピューターを用いた合成写真を使う時もあるが大抵は鉛筆で書かれたスケッチである。リアリティーを求めるなら写真の方がいいのではないかと思うがそうではないらしい。今日は人のリアリティーについてのお話をしよう。
写真と絵なら、撮影や描く人の技量にもよるが大抵は写真の方が情報量が多くので実際の姿に近いように感じられる。普段の写真なら特に思わないが、証明写真になるとなんだか変に顔が写ってしまうことはないだろうか。例えば免許証の顔写真。大抵の人は写っている顔に違和感を感じてしまう。免許証の場合諸般事情があるが、その他にも履歴書や証明書などに貼り付ける証明写真などもなかなか自分の気に入る仕上がりにならないことが多い。
一方写真に比べて格段に情報量が少ない絵は描きようによってはおおざっぱな仕上がりであっても、顔の特徴的な部分を上手に捉えればその人にそっくりの似顔絵ができる。新聞の風刺絵などはそれに当てはまる。一方デッサンのように写実的に描く技法もある。裁判のスケッチや犯人の似顔絵などは一目見るだけで印象に残る。特にグリコ森永事件の犯人として描かれた「キツネ目の男」の顔は強烈な印象を放つ。
この違いはどうやら人間の認知能力に影響されるようだ。それは単にリアリティーは情報量に比例しないという事だそうだ。
http://www.blwisdom.com/cogni/03/ 認知科学者の視点より
絵は実物から比べるとおおざっぱだが、特徴的な部分をしっかり掴んでいれば人の顔だと分かり、イメージすることができる。元々の情報量が少ないから要所を記憶でき、実際と比較して、絵の特徴と実物とが重なれば「似ている」と感じることができる。
一方写真は実物にかなり似ていて、細かな特徴まで掴んでいる。しかし細かいがゆえイメージや実物の姿と写真を何度も比較して、些細な違いに気づくことがある。これが違和感である。証明写真の自分は確かに自分の姿に間違いないのだが、普段の雰囲気や服装と違う。似すぎているが故に違いが余計に浮き彫りになってしまうから気に入らないと思う。これがスケッチが長宝されるポイントである。
最初の話題に戻すが、犯人の顔を合成写真で作ってしまうと細かな特徴に納得がいかず、実物を見た時に違和感を感じるそうだ。一方像は荒いが特徴を掴みやすい(情報量が少ない)スケッチは絵の特徴だけ記憶に残り、実物とも比較しやすい。だから今でも犯罪捜査では人の手によって似顔絵が描かれるそうだ。何ともアナログな人間らしい感性だと思ってしまった。
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衛星放送で流れている世界の報道やドキュメンタリーを私はよく見る。日本では話題にならない事件、社会現象を見ることでそれぞれの国の持つ背景や現状がよく見えるのが一番の理由である。そして日本という国をどう取り上げられているかもまた興味をそそる。
先日フランスのニュースで寿司に関する内容を取り上げていた。もう「sushi」は国際語として認知され、フランスでもお店が増えているそうだ。しかしその店主の9割は中国人で、本場の日本人が少ないという現状が伝えられていた。
世界中どこに行っても中華料理に困ることはないが、どうやらこのままだと、日本食まで彼らに取り込まれてしまうのかも知れない。こうした現状にあまりフランスの人は違和感を感じないようである。これはある意味仕方のないことかもしれない。
外国のドラマを見ていると日本人役の役者は大体が中国人であることが多い。私たちから見れば、中国人と日本人は肌の色は黄色人種で同じだが、顔の骨格などから違いが分かるが、白人の彼らから見れば中国人も日本人も同じように見える。同じく日本人から見れば、イギリス人とアメリカ人の違いを見分けられないのと同じように。
さて話題を元に戻すが、そんな現状を変えようと日本人の寿司職人がフランス人に寿司の作り方を教える講習会を始めたそうだ。寿司好きの人が集まり盛り上がった様子が伝えられた。インタビューでは「自分も職人のように上手に握りたい」と参加者は答えていた。
ある番組では外国人のお茶の先生が紹介されていたが、これからは寿司を握る職人さんも外国の方が多くなるのかも知れない。彼らのように熱心に日本の文化に携わる外国の人はまだ少ないのかも知れないが、やがて文化教室や職人さんが外国人ばかりになり、日本人が教えてもらう側になるかもと考えてしまった。
寿司でも茶道でも何でもいいが、日本人も一つぐらいは自分の国の文化を身につけるべきではないだろうか。
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「中途半端な知識とプライドが自分の身を滅ぼす最大の要因である」
中途半端な知識を持ってしまうと、自分が全てを知っていると思いこんでしまう。そうした気持ちが新しく物事を知り得るチャンスを逃してしまい、結局は事実とは違った見方や認識を創り出してしまう。
大学という閉ざされた空間は、物事をじっくり考えるには良い機会だが、それが社会で通用するとは限らない。「机上の空論」「理想論」で切られてしまうのがオチだ。
自分の考えやスタンスをじっくり熟成させる一方で、それを実際のフィールドで使うことが必要だと日々思う。
その時に謙虚さが一番大事だと思う。本当にすばらしい教授(師匠)は、カタカナ言葉や難しい言葉を連発して説明したり、人に語ったりすることはない。ある意味飾らないし、学生のたわいもない質問や意見も聞いてくれる。
そんな師匠を見ていると、自分もそうありたいと思えてくる。そのためには何が必要だろうか?やはり謙虚さだろうか、そんなことを考える日々がしばらく続きそうだ。
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大きな空港や駅でよく見かける歩く歩道。本来は長距離の移動が大変だから、楽できるように設置している。私もあるとそこで休めるからあるといつも使ってしまう。でもそこで見ていて変だとと思うことがある。。
こうした歩道には片側を急ぎの人の為に東京なら左、大阪なら右を空けるのがマナーである。そして大抵の人が”動く歩道で歩いている”
いつも思ってしまうのは、急がないのであればだったら動く歩道で止まっておけばいいのに、どうして動く歩道でさらに歩くのだろうか?無意識の内に自分搔き立てて、急ごうとするのか都会人かな・・・と思えた。
動く歩道でゆっくりすることでそんなに時間をロスするだろうか。もしかするとゆっくりしているおかげで一本速い電車に乗れるかもしれない。あるいは横断歩道の信号を待たなくていいかもしれない。
こんな事を言えば、少しでも早く移動して、空いた時間をゆったりすればいいと考える人もいるだろう。それも一理ある。でも私は急ぐときには急いで、その必要性のない普通の時にはゆっくりする方がゆとりがあっていいように感じる。
ゴムは一度伸ばし、時間がある程度経過してゆるめても元の長さには戻らない。人間の緊張感も同じように思う。働くONの日々が続くと休みのOFFの日にもなんだかんだで用事が入ってしまったりして十分休めないことがよくある。ならばONの間に少し休める時間を設けて緊張感をほどけばいいと思うのだ。動く歩道で急いだ所で、到着時間にさほど差は生まれないはずだ。
時間をONとOFFを使い分けが忙しい都市の生活では必要ではないだろうか?そんなことも考える暇もないほど忙しいのかもしれない。人のリズムに支配される都会という空間。田舎人の私には動く歩道で歩いている人の光景が変に見えて仕方ないのだが。
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ここ二日ほど学生が地域に関わっている報告会に参加する機会を得て感じたことを報告したいと思います。
土曜日に行われた勉強会では、大学生に田舎と都会どちらで暮らしてみたいかというアンケートを行い田舎のイメージを報告していました。
アンケートの切口はプライバシーやコンビニの有無、仕事の多様性といった都会にあって田舎にないモノ要素に対し、どれぐらい我満でき、仮にそれらが田舎にあった場合住んでみたいかという内容。結果は大都市部に住んでいる学生程、田舎の生活に比較的我満ができ、田舎出身の学生は自分が住んでいた町よりも、もう少しモノや手段のある都市部に住んでみたいという結果だった。
一方日曜日に行われた発表会では、地域の自然環境を生かした農業や林業など、都会にはない要素で活動している企業や団体にインターン体験をした学生が、実習から得たこと、今後取り組みたい事を報告していました。
モノという都会にあって田舎にない要素で見ると、田舎は遅れた辺鄙な存在である。一方自然という要素で見ると都会は荒んだ存在に見えてくる。しかし一方しか計ることの出来ない尺度で本質を説明できるだろうか?私は色々と考えながら学生の発表を聞いていました。
そうした中、この疑問に対してヒントになる発言を後輩が発表していた。それは流れるもの速度が都会と田舎では違うと。例えば、田舎では雲や川の流れを時として感じ、都会に行くと人の動く速度や時間の流れを感じると話していました。
そこで私が思ったのは、都会と田舎は流れや摂理、あるいはコントロールしている相手が自然なのか、人間か決定的に違いではないかと考えました。
都市の中で目にする建築物や構造物、車や鉄道、口にする食べ物など、すべての要素は人によって産み出され、あるいはコントロールされています。そこに人が集まり大量の情報とモノが提供され流れていく。都市とはすべてが人為的な環境で成り立っているように見えます。
一方田舎は物事の全てが自然からスタートします。農業や林業、漁業といった一次産業だけでなく、食や住居など生活全般が自然によって供給され成り立っています。だから自然のサイクルの中で人の暮らしが成り立ちます。
自然のサイクルは四季という短い変化だけでなく、人の命の何倍もの時間をかけ変化してゆきます。山や海は何千万年の時間をかけて今の姿になっています。だから人の速度で成り立つ都会と違って、ゆっくりと物事が流れているように感じるのではないでしょうか。
誰が時間の流れを作っているのか。人なのかあるいは自然なのか。これが都会と田舎の違いそのものだと二日間を通じて感じました。
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子どもの時、一日は長く時間の流れはゆっくりだったのに、今は一日・一年が早くて・・・という事を良く聞く。これは大人と子供の時間には違いがあるからだ。今日はそんな話をしよう。
子供をよく観察していると彼らにとって時間は自分の本能をベースに使っているように私は思う。例えばお腹が減ったからご飯やおやつが欲しいと親にねだってみたり、あるいは眠たくなったらその場で寝てしまったり、何かやっていても飽きると何か面白いモノはないか探してみたり・・・すべて自分の好みや動物的本能で行動し時間を消費する。そして彼らの時間を制約するものは限られている。彼らの用事は自分の都合で変更はなんともなり、コントロール出来ることも多く、その相手も友人や親など限られ、自分が思うように時間を使うことができる。
しかしだんだん自分の都合だけで時間が使えなくなる。例えば「何時までに○○をしなければならない」といった具合に、相手の都合に自分を会わせるようになる。その他にも締め切り、バスや電車といった移動の手段は相手の時間に自分が合わせることで利用することができるし、それを前提に自分の行動を考える。普通自分のスケジュールは自分の予定のように思うが、相手をしてくれる他人の都合や予定とも言い換えることができる。
このように自分から相手の時間に合わせる・消費するスタイルは常に自分をせかすことにもなる。自分の事だったら先送りすることは簡単である。しかし誰かの都合になるとそう簡単にはいかない。だから無意識の内に自分を急がせ、相手のために用件をこなすようになる。
用事をこなし、駆り立てている日々が続けば一日はあっという間に過ぎてしまう。大人という社会という群の中で自立して生活する生き物にとって、時間はいつの間にか自分のためよりも、相手の為に消費するようになり流れが速くなるのではないだろうか。私はそう感じるのだが。
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ある社員教育の仕事をしている友人から聞いた話から。
その方はアメリカ・ヨーロッパ各国のメーカーから人材教育の委託を受け仕事をしている。友人は日本の事務所の代表をしていて、アジアの部署を任されている。仕事上色々な国の人と接するが、契約事は本社のあるアメリカ・ヨーロッパの人が多いとか。そうなると相手は代表は東洋人のその友人より、白人に話しをさせろと要求する。やはりどこかで黄色人種を下に見る傾向はあり、信頼できるのは白人(WASP)だけという思想を垣間見るような話だった。
グローバル化と聞くと世界が一つの基準で動くような印象を受けるが、それは違うと前に私はブログで書いた。例えばアメリカ人がハンバーガーとコーラーを飲みながら、ノキアの携帯で電話して、トヨタの車に乗る。これがグローバル化でイメージしやすい。つまりその国が強い商品やサービスが国境を越えて展開されるという内容である。しかし本当は、グローバルになればなるほど、ローカルスタンダートが大事になってくるということである。
アメリカ生まれのハンバーガーだって日本に来れば日本人好みの味にしている。月見バーガーなんてアメリカにはない。トヨタだって東南アジアに行けば道路事情を考慮して日本で使っているエアーのバネでなく、板バネを使っている。砂利道で水溜があちこちにある凹凸の激しい路面では、日本のバネではフワフワして乗っている人が酔ってしまうそうだ。つまりグローバルに商品やサービスが展開されればされる程、それぞれの地域の人の好みや習慣(ローカルスタンダード)を反映することが大事になってくるのだ。
その考え方を伝えて、その友人に私はこういった。
「白人は白人が優れているという思いこみがある。それを彼らはグローバルスタンダードだと思っている。実際は白人同士しか通用しないローカルスタンダードに過ぎず、それに私たちが合わせてあげていると思えばいいよ」と言ってあげた。彼は、「そう考えると物事の見方が変わるね」と考え方に共感してくれた。
21世紀はアジアや中東が台頭してくる時代である。今でもテロなどで欧米(キリスト社会)と中東(イスラム)が対立している。最近は東アジアが危ういが・・・20世紀は白人が中心の欧米世界がすべてであったと言える、今世紀は過去に中心であった白人の独善性が修正される世紀なのかもしれない。早く彼が思いこみの罠(欧米の見せかけのグローバルスタンダード)からの脱却がテロなど対立解消の糸口であるように私は思う。
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今回は情報通信の博覧会であるCEATECレポから、実用的な展示を紹介します。
最近は駅前など人通りの多い所でフリーペーパーが配られたり、携帯や雑誌でクーポンを使うなど企業やお店の広告ツールは以前と比べて色々な手段が増えています。またプロモーションの仕方も、単に駅や地下街に広告を張り出すだけでなく、薄型テレビを使いビジュアル面で訴える広告手法も増えています。そういった広告とプロモーションのツールの双方を取り込んだ仕組みが富士通に展示されていた「UBWALL」です。
このシステムは大型のタッチパネルと人を感知するセンサー、そしておサイフ携帯のFeliCaシステムで出来ています。
通常はお店や設置場所の映像広告やガイド画面などを表示します。そして人が近づくと、様々なコンテンツをメニュー形式で表示し、フロアーの位地や新商品など、知りたい情報を画面に触れて得ることが出来るようになっています。
そして、そのお店のお得情報や割引クーポンを下にあるFeliCaシステムに携帯をかざすことで、電子クーポンを得ることが出来るようになっています。利用者は勿論お店で使うことが出来ますが、お店側もいつ・どのお客が利用したのか履歴見ることが出来るので、次の広告戦略に利用できるのが通常の広告とクーポンシステムにはない利点です。
この履歴は利用者側にもマイメニューとして残り、携帯をかざすことで自分が普段利用しているお店の情報だけを表示することも出来ます。
では、実際にどのように使うのかムービーを見て下さい。すごく簡単にできるようになっています。「CIMG2241.AVI」をダウンロード
このシステムはまだ研究開発段階ですが、静岡県のある市役所に設置され町の情報にアクセスできるシステムとして実用試験するとか。近い将来、デパートや地下街の広告でクーポンや情報を引き出したり、フロアーで迷った際の地図表示などで利用ができるかもしれません。あると便利かなーって思いました。
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どの組織を見回しても、周囲から「特徴的、独創的、オリジナリティーのある人」と言われているいる人物はいる。それが単に社会性を持っていないクレイジーなやつなのか、周りから尊敬を受け、堅実な姿勢が評価されるかどちらかに分かれるが、そんな人たちには自分のオリジナリティーやこだわりがあり、それがその人らしさを作っている。
その気持ちが前向きで、全体に新しい方向性を導こうとしている人は、グループ全体で2割ぐらいはいる。そんな人を私はイノベーターと呼んでいる。イノベーターは似たような人たちとグループを組んで取り組む事が多い。そしてどこの組織でも新しいことに挑戦しようとしている人はいる。
ただ新しさから周りから理解されない時でも、悩みを同じイノベーター同士で共有し、互いの速度を高め合うコミュニケーション能力を持ち合わせている。だから常に前を向いて動くことが出来る。例えば学生であれば単に単位修得の授業から、問題意識を持ってボランティアやNPO活動をしたり、講義や課外活動で得た事からベンチャービジネスを立ち上げたりと意欲的に行動する。ただ時にはグループメンバーの理解度を超えた主張をして、受け入れられない(あるいはついてけない)事もある、そんな人達である。
でも大概の人はそこまでの行動はしないと思う。たとえ自分の考えがあっても角が立つ程主張したり、気に入らない事も仕方がないといいながら受け入れる。自分よりも周囲の目を気にする。これがグループの中で5割を占める「普通の人」である。一応はまじめで、学生ならとりあえず単位を取って、仕事ならとりあえずこなす。でもそれ以上に価値を求めたり、他の人の為の行動はそれほどしない。
自分の主張よりいい意味でも悪い意味でも、周囲に流されるから、先頭を走るグループが熱いとそれが伝わって熱くなるし、後の方で足を引っ張る人がマイナスばかり言っていると、冷めてしまう。でもこうした人は潜在的に自分の主張があるから、そこを引き出してあげる努力が必要な人である。それがグループのリーダーには必要な素質なのかもしれない。
不満というのはどんなに良い組織でも解消されない。それを自分の力にして欠点を克服しようと努力することも出来るが、大概がマイナスのまま蓄積され「でもさ・・」という後ろ向きの気持ちに投影されてしまう。
組織の中でも何をやっても不平不満や保守的な姿勢の人はいる。グループの中で3割はこんな「ラガート(保守主義)」がいる。この人達も強いこだわりや主張があって説得するのは難しい。メンツやプライドを高く持ち、傷つけられることを恐れる。前に向かおうとしているイノベーターと対極の存在だが、共通点は多いのである。
そして一世代も二世代も前のイノベーターがラガートになっているケースも多い。ラガートにいる自分たちは先進性を持っていると思っていても、周囲や若い人達から、古いと言われる。あるいは若い世代のイノベーターが新しいことをやりたいと言っても、過去の経験から「それはできない」と理屈をつけて潰してしまう。同じような経験をしたから言えることかも知れないが、結果的にマイナスの答えを出してしまう。
働き蟻もすべてが活動するのではなく、全体の2割ぐらいはさぼっている。でもメンバーが減るとさぼっているやつも働くが、やっぱりどこかで動かないのがいる。人も同じでそれぞれの比率は組織にもよるがだいたいが2・5・3の比率だと思う。あなたはこの比率どう思いますか。あてはまるでしょうか?
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今日から数回に分けて土曜まで千葉県幕張メッセで行われていたアジア最大級のIT博覧会の「CEATEC」から、おもしろい技術を中心に紹介したいと思います。フォトリストにも別の角度からCEATECをアップしてありますので、ご覧ください。
http://think-pod.cocolog-nifty.com/photos/ceatec/
まあ、見れば分かるように人ばかりで、モノを見に来たのか人を見に来たの分からなくなります。私は両方見ますが。
一人だけ目的が違うような・・・・こういう方を見るのも結構面白い。
さて面白い技術のレポートですが、今回は音響メーカーのパイオニアのナビゲーションのサポートをするロボットを紹介します。
名称はRODと一応コードネームだけとか。ペンギンのような形をしていて、クルクル回り羽をばたつかせたりします。頭部にはカメラが内蔵されていて、ドライバーを認識できるようになっています。
どんなことをさせるか、ずばりドライバーの相手をするロボット。ではどんな動きをするのかは私と開発担当の方との会話も入ったこちらで。「CIMG2204.AVI」をダウンロード
どうやら本体に加速度計があるので、そこからドライバーに警告をするようになっているようです。その他にも、こんな機能が「CIMG2206.AVI」をダウンロード
こういった形で単にナビやドライブレコーダーといった機能だけでなく、ドライバーと一緒に楽しむロボットにしたいと開発の方は語っていました。
ロボットが話し相手になってくれるドライブというのも近い将来やってくるのかもしれません。
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先日ある大学の講演で「天才とは社会の偏差値から外れた人間である」という印象的な言葉に出会った。
確かに偉大な天才はその時代には、あまりに進歩的過ぎて理解されない事がよくある。偏差値はおよそ社会の平均値であるから、一応クリアすると普通は安心するし、それをクリアーするために努力はしている。
しかしその努力は周囲に合わせる為の努力である。一定のレベルが確保されるから、考えを共有でき、社会を作ることができる。そんな難しいことを言わなくとも、成績が良ければある程度は所得の高い職業につける。
しかし天才が行う行動や努力はすべて自分のためであり、誰から言われたあるいは頼まれたものではない。自分がやりたいと思って研究し、開発している。だから突出している。
自分の為なのか、周囲(自分以外)の為なのか天才と一般人にはそんな所が違うのではないかと思う。
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こんなにたくさんの海老見たことないヾ(@゜▽゜@)ノ
今日は会議があって高知市から車で1時間ぐらいの所にある中土佐町に来ています。伊勢エビは今がシーズンだそうで、水槽いっぱいにいました。
何をしていたかというと、地域づくりの勉強会を私が所属している研究所が中土佐で行ったのです。この地域は漁師町で小さな商店街があるのですが、露店で売っている商品を買って、市塲の中の食堂に持ち込むと料理してくれ食べることができるユニークな取り組みをしています。その視察もかねて行っていました。この日もたくさんの人で50メートルぐらいの小さな
通りは漁師町の活気で満ちはふれていました。
お刺身、おいしかったなあ・・・勿論ちゃんと舌見(下見)もかねているので。舌でも味わないとね。
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