« 2006年12月 | トップページ | 2007年3月 »

2007年2月

2007年2月28日 (水曜日)

そんなものかな

 後輩と会話をしていた時、「私、拉致問題や夕張問題がどうしても身近な出来事だと思えない」「なぜ、夕張問題に関心を持つのですか?」と質問されてしまった。

 最近私の師匠は夕張の財政破綻について研究しているから、私も関連する書籍を購入したり、3月には実際に現地に行くことになっている。そんな私を見ていて、ふとそんな素朴な質問をされると、こちら側が答えに困ってしまうが、

 「本来は社会問題に関心や一定興味を持っておくのが社会に生きる人間の普通ではないかな」と一応回答しておいた。

 拉致問題にしろ財政破綻にしろ色々な問題があるが、こうした事が身近に感じられないのは規模論が関係しているように私は思う。

 例えば・・・友人と町を歩いていて、火災の現場に遭遇したとする。

建物の窓から女性が「助けてくれ」と叫んでいる。もし周りに人がいなければ、あなたはどうするだろうか?普通なら、友人と手分けして行動して助けるか誰か救助を呼ぶ。

もし、現場に遭遇した時に10人ぐらいの取り巻きが出来ていたどうだろうか?多分バケツリレーとかしませんか・・・と言った具合になるだろう。

もし、周囲が黒山の人だかりになっているとだろうか。単に野次馬になってしまうか、周りが混んでいる為に、進めない事にイライラするかもしれない。

もし、火災の現場をテレビで見たらどうだろうか。多分チャンネルを変えた瞬間にその出来事は記憶の片隅にも残っていない。

 人の意識とはこんなもの。だからテレビや新聞で○○問題と取り上げられる事に関心を持てないことは普通の事だろうか。だからと言ってそれでは、困るのだが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月26日 (月曜日)

見慣れた光景

 数日前、大学の正門に大学生協の物件紹介の立て札と親子を引率するスタッフを見かけた。4月に入学する学生のアパートを斡旋する光景だった。

 今日、大学周辺を歩いていると軽トラックに机やら家具を載せている光景に出くわした。3月に卒業する学生の引っ越し作業であった。

どちらともこの季節によく見る光景、私にとっては見慣れた春前のいつもの光景である。

でも今年はそんな光景を見る立場ではなく、引っ越しをする当事者になった。

つい4年前は引っ越してくる立場の人間であったのに、もう引っ越す立場になってしまった。そして毎年繰り返される光景の一人となる。来月末には住み慣れた部屋を出ることになっている。この町で、引っ越しの光景を見ながら春を過ごすことがなくなることを考えると、少し寂しさを感じた。

 私の部屋も引っ越してカラになり、次の人がまたやってくる。そして次の人へと・・・

繰り返される光景の一人となりながら、時間は過ぎていく。静かにゆっくりと。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月20日 (火曜日)

重要視されない所は

 映像作品が終わるときに決まって流される制作者や関係者の名前が流れるエンドロール。映画やテレビなどでは必ず最後に流れるものです。

 私は映画の場合、制作者に対し敬意を表する意味でエンドロールまで鑑賞し席を立ちます。自分が製作側であれば自分の名前が出ることは感慨深いモノがあるだろうな、と考えながら見るようにしています。(作品の余韻に浸りたいというのも事実ですが・・・)本来あの時間はどんな意味があるのでしょうか。作った人にとっては、全力を捧げた作品に自分の名前が刻まれる誇らしい瞬間であると思うのです。だから他のお客さんが帰る中でもあえて私はそうしています。

 しかし、最近テレビを見て思ったのはエンドロールの流れるスピードが早いことに気づきました。真面目に見ている人はあまりいないと思うので、意識してみて欲しいのです。名前を確認するのがやっとの字幕。横に流れるスピードは人間の判断能力の限界に近いものがあります。テレビの場合、映画と異なり本編の終了とエンドロールが同時並行で進むので出来るだけ邪魔にならないように、手短に終わらせたいという意図が文字のスピードから垣間見えます。

 「あるある大辞典」のねつ造事件が発覚してから約1ヶ月経ちました。テレビの製作現場は皆さんもご承知のように、テレビ局からプロダクションへの下請けで作られています。そうなるとエンドロールには下請けの会社の名前しか出ません。番組を製作している人の名前すら出ないエンドロールに、作った人は誇りを感じるでしょうか?

 あの早すぎるテレビのエンドロールを見ながら、今のテレビ製作の現場が感じられる。そんなことを考えてしまいました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月18日 (日曜日)

同じ言葉でも

 先日、ある役所で公園を管理している方と話をする機会があった。その方は苦情等があるので、年に数回公園などで野宿をしているホームレスの調査を行うそうだ。

 調べる内に興味深い事を見つけるという。それは高齢者のホームレスほど恵まれている事だという。

 その人が把握しているホームレスの人の半数近くが高齢者である。ほとんどの人が年金をもらい、身よりも存在し帰ろうと思えば身内の元で生活できるという。つまりあえてホームレスの暮らしをしてるそうだ。

 普通考えれば、年金をもらって生活が苦しいなら生活保護を申請すればある程度の生活ができると思ってしまう。でもそうしない。社会問題に取り組んでいる人の話では、ホームレスの人を説得し、生活保護を申請し住むところを用意しても家賃を滞納しやがて出て行ってしまう人が多いそうだ。どうやら家のような形のあるモノが自分にあると窮屈に感じてしまうらしく、自由に野宿をしている方が気が楽だそうだ。

 一方、若いホームレスの人は定職に就けず、日雇いのバイトで食いつないでいる状況の人が多い。寝るときには格安の漫画喫茶で寝泊まりをしているそうだ。

 同じホームレスで一括りにされてしまう人でも、年代によってこんなに違う。ここにも格差社会が生まれているのだろうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月15日 (木曜日)

そっぽを向いて

 さっき見ていたテレビでちょっと思ったこと。

ある女性出演者が司会者にいじられて、収録中泣き始めた。

司会者はそれをおもしろがっていじった。

泣き始めた女性は、それから司会者にそっぽを向いた。それをまた司会者はいじった。

泣いた女性の顔は、泣く以前と異なり相当な嫌悪感に満ちた表情で、いかに普段の顔が取り繕っている顔かどうか分かるものだった。

 泣いて、すねて、相手にしない。子供と変わらない行動。そうすれば取り合ってもらえると思っているから、彼女はそうしているのだと思う。当然司会者の言動はジョーク的な要素もあって、真正面から取り合うべき事でもなかった。

でも彼女は、「すねる」ことで司会者の気を引くことでカメラを押さえていた。泣いたり、すねたりすることで取り合ってもらえる。それが通用するのは、人生でごくわずかの時間だけ。

 「若さの最大の弱点は・・・・新しい若さ」

 多分、彼女のような形で人の気持ちを自分に引きつけようとする人が、新しい若さに駆逐され、自分が気に留めてもらえないことを妬むのでしょうね。いじられたぐらい笑い飛ばせる、余裕があればそんな幼稚な感情を持つ必要性もないのでしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2007年2月 9日 (金曜日)

イメージと実体のギャップ

 現代人(都会人でもいい)がお世話になっているもの。人によって色々だろうが、ネット、ケイタイの次ぐらいに挙げそうなのがコンビニではないだろうか。

 私のコンビニに対するイメージとは、イメージ戦略と実体のギャップにつきる。

例えばコンビニのコマーシャルやキャッチフレーズは、「フレンドリー」あるいは「やさしい」という類がある。

 >「街のホットステーション○ー○○」

 >「あなたとコンビニ××××ー×ー×」

 >「◆◆◆◆◆◆◆いい気分」

 まあ、こんな感じ。あえて隠さなくても分かるだろうけど。生活にやさしいとか、行きつけの気軽さ、一息入れるスポットのようなイメージを消費者にもってもらいたい、(刷り込みたい)のだろう。

しかし実際、コンビニに足を運んでCM通りの印象を受けるだろうか?残念ながらそう思わない。

 愛想の悪いアルバイト店員・・・・(無表情で袋をネジネジしなくていいのに)

 陳列されている弁当類・・・(食べなくても味の想像がついてしまう)

 入口でたむろする若者・・・(入りにくい、目線を合わせたくない)

 ○○がプロデュースした弁当・・・(いや、味は普通の弁当と変わらないのでは)

 どんなものでもイメージと実体の乖離はあるだろうが、少しズレ過ぎていないだろうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2007年2月 8日 (木曜日)

暇=テレビ

テレビを見る時間が最近少ない私はちょっと感じたことがある。それはテレビとは暇が必要だということ。

 テレビを見る時間は、私の場合だと朝起きて頭がボーっとしている1時間ぐらい、あと家に帰ってきて寝るまでの2時間ぐらい。何かをしながらテレビを見たりも出来るけど、普通はなにもしないで、テレビを見てくつろぐ。だからテレビを見ている時間はどうでもいい、暇な時間といえます。

 テレビを見る時間をそう捉えてしまうと、テレビが流している情報とはかなりどうでもいい内容だなと思ってしまう。
 例えば

 >アニータが日本に来て、マスコミが彼女を取り囲みその動向を追う。
 >東知事がトイレの流す音を報道したり(本人談・・・宮崎の会議でそう話していました)
 >ハンカチ王子が監督にハンカチで汗を拭く余裕を持てと怒られた。

 ホント、どうでもいい事ばかり。どれも私の暮らしに直結しない事ばかりです。
最近は放送している内容をねつ造する事件があったり、イギリスでは皇太子妃の彼女をパパラッチがマークして、問題を起こしたとか。

 報道している側は、視聴率が気になって番組を作るから、暇な人に受けそうな話題に偏ってしまう。だから、内容はどうでもいいことばかり焦点が当てられている気がしてならない。

 確かに失言をすることは問題だけど、そればかり話題が集中するのはどうだろうか?人の揚げ足ばかり取るのは、やはり暇だからだろうか。

 それとも暇な人向けの内容に過大な期待をしない方がいいのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年12月 | トップページ | 2007年3月 »