気になる話題

2006年9月 2日 (土曜日)

歯みがきプロジェクト

 私が最近見つけた社会貢献活動が「歯みがきプロジェクト」だ。

 この活動は、あるアナウンサーの方がボランティアなどの奉仕活動を通じて、一般の人がホームレスの問題に、小さなきっかけを元に考え行動するチャンスを作り取り組みたいという考えの下で、歯ブラシを一般の方に購入してもらい、ホームレスの方に無償で配布する活動を進めている。

 意外だと思ったのがホームレスの方の公衆衛生状況の悪化が、普段の暮らしだけでなく、就職などの社会復帰のネックになっている事を、この活動から初めて知りました。もっと活動が広がることを期待して、リンクをのせておきます。関心がある方はぜひご覧ください。

 http://www.tokyo-homeless.com/ 東京ホームレス

 http://chinamin.ameblo.jp/ ブログ版 東京ホームレス

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 PS,普通アナウンサーって芸能人やスポーツ選手との話題などどちらかと言えば真面目な話題は少ないと思うが、この方の活動には関心しました。特にヒルズ族なんかとちゃらちゃらしている人には見習ってもらいたいものです。

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2006年8月 7日 (月曜日)

熊にとっては踏んだり蹴ったり

 今日は録画してチェックし忘れていた番組を見ていて、山菜狩りに出かけて熊と遭遇し一発パンチを入れて撃退した人の話題から。

 この話題はNHKの「@ヒューマン」でも取り上げられていたけど、勇気のある人だ。秋田県大館市の山林で山菜採りをしていた59歳の男性会社員が体長140㎝のクマと遭遇した。突進してきたため、とっさに右手でパンチを放つと顔面にクリーンヒット。クマは男性の一撃でそそくさと退散した。

 毎日牛乳配達で鍛えていたので、50代後半とは思えない腕をしていた。パンチした所も熊の鼻だったので幸いしたとか。キャスターの方のブログにもあるように、以前には同じように熊に遭遇し巴投げをした人もいたらしい。人間のとっさというか、火事場の馬鹿力とも言えるかすごい力があるものだ。でも年間平均すると山で熊に襲われて亡くなる方は3人、蜂などに刺されて亡くなる方は5人もいる。ケガをしている人はその倍以上いると考えられるから、今回は奇跡的に助かったと言えるケースだろう。

 この人のケースだと山に深く入って熊に遭遇してしまった場合だか、熊が人里に降りてくるケースもよくある。例えば秋から冬にかけて冬眠するため食べ物を探しに来たり、あるいは鹿や猿のように人の食べ残しや食べ物が気に入ってしまったケースなど。そういった場合捕獲し山に返す、あるいは射殺する場合で終わっている。でもそれでいいのか常に疑問に思う。

 その他山に関して変だな、と思うことがある。例えば山里を紹介するときテレビなどでは「豊かな自然に覆われた」とか「緑が豊かな」といった表現をする。でもそれは私から見るとちょっとおかしい。あるいは自然環境を守るために植林活動をしています、と宣伝広告をする企業。それで企業をイメージを高めたいと思惑があるのは百も生知だが、本当に木を植えるだけで環境を守ることができるのか?

 ここに認識のギャップがあると私は思う。確かに緑に覆われた山は美しい。でもそこにある木々は人の手によって植えられた場合が多い。日本の森林面積の半分以上は人によって植林された山だからだ。そうした樹木の場合、杉や檜といった針葉樹系が大半を占める。今から30~40年前に木材生産用に植えられたのだ。しかし外材輸入が増え、手入れするとコストが合わず放置されたままの山が大半。広葉樹が多く、秋になると紅葉が美しい地域は別だが大半の地域は人が植えたにもかかわらず、放置され荒れている。だから本当に緑が豊かなのかは疑問に感じる。

 木は単に植えるだけでいい訳ではない。成長すれば間引き(間伐)を行わないと、木自体の成長にも、あるいは地面に日光が当たらず、植物も成長できない。また針葉樹以外にも広葉樹とバランス良く植えなくては、針葉樹のように一年中葉をつけて、地中の養分ばかり吸う木ばかりだと、地中に養分が蓄積されず痩せて植物も生えない。あるいは針葉樹ばかりであると保水力が弱く、洪水などでも山が持つ本来の力を発揮しにくい。今は、多くが針葉樹り、手入れをしない山が増えているから無機質な山が増え、動物たちは食べ物を求めて里に下りてしまう。

 豊かな山を奪われ、人里に下りるあるいは人に出くわしてしまうと殺されてしまう。熊の立場からみると人ほど恐ろしい存在はない。熊が怖いと思う前に、人が自然に対して行っている怖さを知るべきではないだろうか。ちょっとそんなことを感じました。

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2006年8月 4日 (金曜日)

どうなんでしょうか?

 私の好きな俳優さんが出ている「サラリーマンNEO」で、こんなコントがあった。ニュースのパロディーで、最近若者の言葉を翻訳してくれる会社ができ、実際に就職試験などで試験官と若者とを通訳してくれるシーンが流れていた。確かに今の若者(大学生の私が言うのは変でしょうか?)の言葉は分かりにくいですから、あながちあり得ないとも言いにくいと思ってみていました。 

 そんな今日お昼のテレビを見ていると、若いタレント(多分私より若い)のトークで気になることが。

 そのタレントさんは地元で芸能活動をしていて、最近上京して一人暮らしを始めた。私もそうだが一人で暮らすことで、自分の責任、そして生活の大変さを味わうのだが、その人もそんな話しをしていた。実家にいた時には、嫌いな食べ物は食べなかったが、自分で作ることで食べられるようになったと話していた。でもその言葉づかいに顔をしかめた。

 自分で料理を作って「健康管理」に気をつけるようになりました、と。

 確かに健康って体の状態だから、それをキープする意味で使ったのかもしれないが、健康よりも体調じゃないのかと考えてしまった。

 言葉は形がある訳ではなく、常に変化するからそれに戸惑うことはいつの時代もそうかもしれないが、みなさんはどう思います?「健康管理」「体調管理」どっちもありなのか。まあ、どっちでもいいでしょうけど。

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2006年7月14日 (金曜日)

栄枯盛衰のCM業界

 民放のテレビを見れば必ず見るCM。常に新しい価値観や商品を消費者に届けるツールとして使われています。

 そんなCMもあれだけ流されれば、消費者に認知されるにはかなりのお金が必要。某化粧品メーカーのシャンプーのCMは大量に女優(私が注目している人も含む)を使い、その効果が出てヒットを飛ばしていますが、年間売上の1/3を宣伝広告費につぎ込んでの結果ですから、いつまでその効果続くか疑問視されています。ちなみに同じ戦略をとった化粧品はCMが減ってから売上も減った・・・話題を作り注目を浴びるのは大変ですね。

 量が多いからといって人々の記憶に残るかは別。例えば「私、脱いでもすごいんです」「芸能人は歯が命」といったフレーズは有名です。CMは時代を映す鏡であり、そのときの価値観が反映されます。どれぐらい人の記憶に今流れているCMが残るかは疑問です。

 私はCMはタレントや俳優の注目の指標になるのではないかとwebで見ています。その時代よりも、もっと短いスパンでどんな人に興味や好感度を持つかといった視点です。

 つい先日までかわいいと評判のモデルさんが注目のCMとしてランキングの上位を占めていましたが、新しいドラマが始まると出演している女優さんのCMの注目度が上がる。CMは栄枯盛衰を写す鏡だとつくづく思います。

 あなたも気になるCMをwebで見てはいかがでしょうか。新しいトレンドや価値観が分かるかも知れません。

 http://1cm.seesaa.net/category/178850.html (話題のCMブログ)

 http://www.bb-navi.com/cm-douga/index_ranking.html (人気CM動画ランキング)

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2006年7月 5日 (水曜日)

北朝鮮ニュースの裏側で

 今日は北朝鮮でニュースが一色だから、私はあえて別の話題を選んでみようと思う。
学生を相手にしたネズミ講が摘発されたニュースが私の目にとまりました。http://www.nikkei.co.jp/news/past/honbun.cfm?i=STXKC0136%2004072006&g=MH&d=20060704 nikkeinetより

 その昔天下一家の会など存在し、社会問題となったネズミ講。今でも存在するのだ、と考えてしまいました。今の大学生の年齢ならネズミ講が社会問題になった時代は勿論知りませんから、無理ないのかもしれませんが。

 誰でも楽して稼ぎたいという人間心理に、知識としてネズミ講を知っていても少し風化すると同じような手口で騙されて、それでなくとも株や博打などで一攫千金を狙っている人もいるのだから、人の考えることはいつの時代も変わらないようです。

 そんな話を以前した時に、私の釣りの師匠はかつてこんな事を言っていました。
        「一番儲かる博打とは・・・・それは労働である」と。
 本当にその職業が自分にとって天職なのかは、やってみないと分からない。自分がその分野に可能性があると思っているからこそ、起業する人、そして就職する人がいる。投資をするからにはリターン(利益)を目指して頑張る。なんら博打と変わらない。私はなるほど(^_^;)と思いましたよ。

 リターンを自分の生き甲斐なのか、社会貢献なのか、それとも金銭なのかはそれぞれですが、実のあるリターンを求めた方が、株をやったりネズミ講で騙されるよりもずっと人生の可能性を広げる。私には2人の師匠(人として尊敬できる方を私はこう呼んでいる)がいますが、どちらの方も仕事に対する真剣な姿勢は、社会人手前の学生として見習いたいと思ったことです。そんな心構えを今回被害に遭った人には心がけてほしいです。自分への戒めもこめて。

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2006年6月19日 (月曜日)

相手から自分を見る

 昨日の日本対クロアチア戦。私は自宅で一人で観戦して感じたとから。

 私は衛星ハイビジョンの中継を見ていたから、余計なコメントをあまり見ずに、ウォームアップから観客がまばらになる時間まで試合を堪能することができた。私はサッカーに詳しいわけではないし、普段から見るような人ではない。大半の人がそうだと思うが。それでも日本の戦い方とクロアチアの戦い方は、すぐ理解できた。キーとなる選手、戦術、詳しく述べるまでもないが。

 でも感じたのはどちらのチームも得点が決まらないもどかしさ。川口のファインセーブは相手にとって決定的なチャンスを逃した事になる。柳沢のシュートが決まらなかったことは、クロアチアにとってはラッキーだったと言えよう。

 両チームのもどかしさ。一人で見ていたから、あまり興奮せずに冷静にプレーを見ているとクロアチアサポーターが感じていたもどかしさは、日本のサポーターが感じているもどかしさと同じだと感じた。どちらのサポーターも選手も同じような表情が印象的であった。

 きっと日本がワールドカップに出場できるようになったからこそ感じる世界との壁。これまでの日本のサッカーが一つ一つの壁を乗り越えてきたからこそ、感じる壁なのだろう。

 今度の壁はブラジル。さっそく今日から色々とメディアではブラジルの戦術や対策を取り上げていましたが、私はこのもどかしさをいかに乗り越えるかにかかっていると思います。もどかしさは本来の自分たちの力が発揮されていないからこそ、感じる物です。だからこのもどかしさを感じない試合を終えたとき、勝敗の云々よりも、日本のサッカーは輝くだろうと思います。そんな試合に期待しています。

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2006年6月18日 (日曜日)

テロはテロしか呼ばない。

 北朝鮮がミサイルか人工衛星を打ち上げるらしい。それで色々とニュースが出回り、騒いでいるがちょっと違った目線で私の考えを紹介したい。

 戦争をする時、一方が勝っている場合、それは戦術や兵器が相手より上回っていた場合である。日本が真珠湾攻撃が成功できたのは、奇襲戦で相手が無防備だったから。日本の航空戦力を上げようとしてゼロ戦を作ると、飛行機同士の戦いでは、当初は日本の方が強かった。十字軍の戦いの時も当時時代の先端を走っていた中東の兵士は、火薬や武器でヨーロッパの軍勢を圧倒していた。

 しかし相手も、劣勢を挽回しようと同じ戦略で対抗する。アメリカはゼロ戦より優れた飛行機を開発し、十字軍も同じ鎧甲や火薬を使う。先進国と呼ばれる国が核兵器を持とうとすると、他の国も同じように欲しくなる。そうして戦力が拮抗し泥沼にはまります。

 北朝鮮がミサイルや核兵器がほしがるのは当然である。それに対して同じレベルで「戦争をするぞ、とか経済制裁するぞ」というだけでは、問題は何も解決しない。むしろ逆コースをたどる。

 「同じ土俵に立ちたいのなら、我々のように国際社会に対して責任を果たしなさいよ」と忠告するべきではないだろうか。むしろ日本みたいに核兵器を持たないから、そんな責任もないですよと言うのもいい。本当に人工衛星を打ち上げたいなら、上げればいい。成功したら「北朝鮮の科学力を我々も再認識した」と言えばいい。だめなら、「日朝交渉でミサイル問題は大きな課題にならない」、と言えばいい。日本がアメリカのような立場を取れるわけはないし、このぐらいの立場であることを仄めかすぐらいでいいのではないかと思う。

 本当に戦争を仕掛けてきたなら、やり返せばいい。自分の国を守るのは当然だから、こちらにとっては都合が良い口実になる。そんなこと北朝鮮が出来るわけがない。出来たとしてもあの国にとって良いことは一つもないと思う。

 どうしても、アメリカがテロ戦争を始めてから、「やられる前にやり返す」という理屈が定着してしまった。しかしよく考えなければならない。それはどうしてテロがアメリカで起きたのか?という事である。よくよく考えればアメリカがやっている事が積もり積もってテロという形でしっぺ返しを食らっている。そこへ戦争で対抗すれば、所詮テロはテロによって生まれるという結論になる。

 アメリカが同時爆破テロが起きた際、なぜそんな事件が起きたかも考えずにテロが悪いと戦争に走った。結局彼らがやっていることは、何らテロと代わりがない。国連も無視(アメリカにとって国連はお膳立てでしかない)し、国際法も無視した。(国際法のどこにもやられる前にやり返せるなんて書かれていない)他人の国のある家庭をいきなり襲撃し、怪しいという人物は片っ端から惨殺する。誤爆も大量に発生しアラブの人たちの感情を逆撫でした。テロの首謀者を殺しても、それに怒りを感じるテロリストを産むだけである。結局襲撃のテロで攻撃されると、相手をねじ伏せようとしてゲリラ戦法(内容はテロと同じ)にならざるを得ない。結果戦争は戦争を呼ぶ。このサイクルに日本もはまっていいのだろうか。

 北朝鮮から見れば日本やアメリカの正義は通用しないし、日本から見れば北朝鮮の正義は通用しない。戦争に正義を持ち込むことは、大陸の国から見れば中世時代に逆戻りするぐらいレベルが低い。そんなアメリカと同調するのは少し危険であると私は思う。

 私は日本を怒らせると怖いという印象を相手に持たせる(表面上は出さない、もしくは相手が歴史的な点からそう感じるだけでよい)ことが、武力を正面から持てない日本が外国と渡り合える唯一の条件であると思う。あまり国内では報道されないが、日本が気象衛星を打ち上げても、周辺の国々は、日本はミサイルの技術を持っていると騒ぐし、原子力発電所からプルトニウムを再処理できるだけでも、核兵器を作れると騒ぐ。日本に近い国々は、どうしてもそうした感情を持つのだから、それを逆手に取るのも手段の一つではないだろうか。国際関係に”仲良しこよし”なんてあり得ないから。

 普段はおだやかで大人だけど、怒らせたらあの人は怖い・・・という人はどこでもいる。そんな人は普段は紳士的で馬鹿なことはしない。日本もそんな立場になるべきだと私は思う。ミサイルが飛んでこようとしている最中でも、サッカーが気になるような国民性なのだから、カモフラージュにはもってこいかもしれない。

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2006年6月 9日 (金曜日)

リスク回避=現実回避

 事件発生後、様々な事実が明らかとなってきているシンドラー社製のエレベータ事故。今回はこの事故から私が感じたことを取り上げたいと思います。

 普通エレベータの事故で思い浮かべるのが閉じこめ事故。日本エレベータ協会のホームページには、対策と事例が紹介されています。(http://www.n-elekyo.or.jp/ 日本エレベータ協会HP)

 日本は地震大国ということで、エレベータも大地震が起きるたびに安全に向けた対策が取られています。最近の事例では、昨年の千葉西部で発生した地震では首都圏の約22万台のエレベータの内、閉じこめ事故が発生したのが78台、破損したのが44台と報告されています。この地震はそれほど規模が大きなものではなかったものの、半数以上のエレベータが地震を感知し安全装置が稼働し大事故に至っていません。単にシステム的な対応だけでなく、保守・点検を含めた十分なメンテナンスが行われていた事も考えるとエレベータは比較的安全な乗り物であり、これまで大事故が発生しなかったことが分かると思います。

 しかし今回の事件ははっきり言って異常です。外の扉が開いたままエレベータが上昇する。存在しない階が表示板に出る。エレベータが最上階を通過し天井に衝突するなどが報道されています。とても世界第2位のエレベータ会社と胸を張って言える有様ではありません。

 ただ私が疑問に感じる点は事故が発生してからの企業側の対応です。シンドラー社は事故後、遺族には謝罪をしましたが、プレスリリースなどで発表された文面などを見ると、自社が1年以上保守点検に関わっていないエレベータで発生した事故であることを強調しています。(http://www.schindler.co.jp/jpn/WEBJPNJP.nsf/pages/home シンドラー日本法人 HP)

 これと併せてこの会社は事故の謝罪の姿勢を会見等で明らかにしていません。おそらく企業としてのリスク回避が働いているのだと思われます。これまで不祥事を起こした企業、この場合、企業側の責任を甘く見積もっていた企業(例、雪印・三菱自動車・JR西日本)は、事故後の会見で事故に対する対応や事故原因の勘違いや、不透明さが目立ち当初発表されていた内容と異なる事実が後で発覚するケースが見受けられます。もしそうした事を欧米で行ってしまうと下手をすると訴訟問題に発展する可能性があります。その点を考え行っていないのだと私は感じます。

 おそらくしばらくの間は何かトラブルがあればシンドラーはマスコミの餌食となり、非難中傷が会社側に寄せられるでしょう。これは今までの企業不祥事の例を見れば容易に想像できます。しかし、こうした報道も「人の噂も七十五日」と言われるように、時間が経過すると共に減ります。じっとシンドラーは現実を避けることで、乗り切ろうとしているように見えます。

 しかし、私はこの姿勢に疑問を感じます。別におなざりの会見を求めているわけではありません。企業として製造側としての責任をどう感じているのか、そして現状に対する認識をどう持っているかは事件に関わる当事者として説明する義務があると考えるからです。シンドラー社は国内でのシェアはわずか1%程と言われていますが、それでも色々なトラブルが報告されています。どこに自社のエレベータがあり、どのような事故が起きているのかすら説明されていません。速やかに情報を公開し、一斉にメンテナンスを実施し、安全性が確認されるまで使用を控えるぐらいの対応が必要だと思います。

 最近コンプライアンスだとか、CRS(企業における社会的責任)、CS(顧客満足度)、など外来の企業経営理念が持ち込まれていますが、グローバル企業でもこのような対応のありさまであるなら、単にこうした考えや言葉を導入するだけの企業経営は危ういように思います。シンプルに法令遵守が行われていないからコンプライアンスという事を叫ぶのかもしれませんが。

 いずれにせよ、企業としての謝罪や社会的責任の重さを痛感できず、リスク回避ばかり考えているようでは、いくら世界第2位のエレベータ会社だとか、高い安全基準を満たしていると自負しているという言葉だけでは、単に現実逃避に走っているようにしか見えてきません。早く真相の解明と、責任者の処罰を望みます。

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2006年6月 6日 (火曜日)

立ち止まる勇気

 今日は「クローズアップ現代」を見て私は、「少し考えれば分かることを、今の利益で先送りする現実」が見えたように感じた。

 今日のテーマは「割り箸」だった。普段私たちが何気なく使っている割り箸は、現在90%以上が中国で生産されており、年間約300億膳も利用されている。最近中国では森林伐採による自然環境の悪化、建築材としての木材需要の増加により、割り箸の輸入価格が高騰し、将来的には輸入ができなくなるのではと危惧されているという内容だった。

私たちは、店頭では割り箸はタダで受け取ることが出来る。その感覚に慣れてしまい、割り箸とはタダの商品で使い捨てるのが当然であるという構図が出来上がっている。しかし少し考えてみれば、箸が”タダ”というのはおかしい。割り箸は現在卸値では1膳50銭程度で取引されているが、その代金は箸を使う商品に価格が添付されているか、もしくは店側の負担ですまされていたのだろう。

当然店側にも割り箸の便利さがある。誰も使って居らず取り扱いが便利だ。普通の箸であれば手洗いをしたり、除菌したりとなにかと手間がかかるが、割り箸なら使って捨てるだけでコストが安い。今更、普通の箸に戻すのは難しいという居酒屋チェーン店の責任者のインタビューも番組では取り上げられていた。

 使い捨てで、見せかけ上、タダが当たり前の消費者。取り扱いが便利で安価という販売店。どちらも価格が大きな魅力となっている。確かに販売店は1円でも安く提供することが競争を促し、消費者はその利便性を享受することが出来る。しかし安いという基準で、本当に正しいのか割り箸は問題提起していると私は感じる。

 元々柱などに使い余った端材の有効利用として作られた割り箸。しかし現在では資源浪費型社会の中で、1円でも安く大量に手に入る海外の木材が大量に切られ輸入している。割り箸も端材利用ではなく、割り箸のために木が切られ輸入されている。一方柱などの木材需要を海外に奪われた日本の産地は生産力が弱まり、箸も高価格で業者から相手にされなくなり、衰退する一方である。

 ようやくここに来て、中国の自然環境の悪化や木材需要の増加により問題視されており、ゆくゆくは輸入停止という所まで至ろうとしている。ただ、こうした問題は以前から色々と取り上げられてきました。熱帯雨林の伐採から始まり、地球の温暖化、使い捨ての資源浪費型社会。メディア等で取り上げられても、今の利便性や経済合理性を追求するあり方が問題の根幹にあるように感じます。

 例えば違法駐車の問題。少しだけコンビニ立ち寄るぐらいや、仕事中だからといった理由で道路に駐車し、全体が迷惑を被る。あるいは誰も見ていないから、あまり利用しないからといって点検項目を省いた航空会社。少しでも早く到着するために、私鉄との競争の為にといって安全性を無視した鉄道事業者。どこかこうした所と今回の問題はリンクしているように思えます。目先の事や自己利益の為に奔走し、本質や全体の目線が軽視されています。

  この問題に根本的に取り組む解決策があるなら、番組でも取り上げられたように、国産材を利用した割り箸を有料で販売する(割り箸無料を廃止する)事が手っ取り早いでしょうが、おそらく横並びを嫌う業界の性格から導入は難しいかも知れません。

 正しいことや解決策を知っていながらも、自分の身を考えると出来ない。これはもう人間の性かもしれません。人はそれほど賢い動物ではないから、かなりの人物でない限り自分のことぐらいしか見えてこないし、よほどのことのない限り、集団で取り組もうとはしない。人が自身の身を滅ぼすのは、「己の利益優先で、物事の本質を見ない姿勢」ではないかと、私は割り箸を通じて感じました。

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2006年5月28日 (日曜日)

抜けている視点を

 今日はネットを見ていて気になったニュースをピックアップしてみたいと思います。

キリンのHPに「ダイエットに関するアンケート結果」のレポートが掲載されていました。まずはその内容を見てください。(http://www.kirin.co.jp/company/news/13/060525_1.html キリンお酒と生活文化研究所 レポートVol.33)

 誰しもが薄着になり、お腹周りや腕が気になる時期。水辺に出かけるシーズンも近くなるとすれば体型が気になるのも無理はありません。そこで多くの人がダイエットに励むのでしょうが、ダイエットに挫折した理由と原因に、私は興味を持ちました。このアンケート結果によると、女性の77%の人がダイエット経験を持ち、そのうちの28%しか成功していません。現実的な体型の問題から、理想像を描いてダイエットに取り組むはずなのにどうして失敗や挫折するのでしょうか?

 普通ダイエットに取り組む人はこのようなパターンで始めるのではないでしょうか。

  1. 自分の体型に危機感を感じる(度合いは人によって異なるが)
  2. ダイエットに関する情報に敏感になり、食事制限やサプリメント、あるいはトレーニングを始める
  3. 始めたものの、周囲の誘惑、慣れない・先の見えないトレーニングに挫折する・・・

 このようなケースが思い当たる人で抜けている視点が一つあります。なんだと思われますか?それは「なぜ太ったのか」という結果の検証だと私は思います。

 「太っている」という危機意識を持つ現在、それに対し自分にとって理想像の未来。この両者の間には決定的な差が存在するのが、ダイエットの難しい点だと言えます。ここに対して効果的な答えを導かないとすぐ挫折する、あるいは失敗する確率が高くなるといえるでしょう。

 ダイエットの場合、理想像である「未来」は多くの人が明確なイメージを持っています。例えばこの夏は水着が着れるようになるとか、この洋服が着ることが出来るようになるとか。しかし太っている現在に対しては嫌悪感か危機感ぐらいしか抱きません。それだけでは挫折だけが待っています。大事なのは「なぜ太ったか」ではないでしょうか。

 「太る」という事は、過去の習慣(食事や運動以外を含む生活習慣全般)からの結果です。単純に考えれば「食べる量」が多くて「消費する量」が少ないという事でしょう。だからこのアンケートでも太った要因に「運動不足」を77%の人が挙げています。

 ただそこで運動すれば問題が解消する訳ではありません。無理な運動は挫折の早道。普段動かない人にとって運動は結構きつい事です。自分の生活にあった運動量と時間の割り振りを考えるのが成功への近道でしょう。

 一方食べる側にも無理をしがちなのがダイエットです。最近ではサプリメントを多用する人が多いそうです。しかしここでも過去の食生活を振り返ってみるといいと思います。ダイエットのメニューを取り入れれば、確かに効果が現れるかも知れませんが、それが継続的に出来るかは疑問です。過去の食生活を振り返れば、いくつもここはまずいなあと思う点は挙げられると思います。朝食を食べない、野菜が少ない等々。いくつも取り組むのはかえって自分を苦しめますから、一つ二つぐらいから解決策を考えて取り組めば、無理は少なくて済みます。こういった視点があれば少しは結果は変わるのではないのでしょうか。

 

 さらにこの記事で気になった点は、男女の捉え方の違いです。女性の場合一人で理想(夏までにこうしたい等)を描き取り組む場合が多く、男性の場合現実的問題(例えば太りすぎなど)としてダイエットを捉え取り組むとアンケート結果では紹介されています。カッコの部分は私の考えですが。

 男性の場合奥さんが55%の人が協力してくれるという点で、おそらくかなりの危機感が差し迫っているケースが多いのではないかと私は感じました。この協力してくれた人がどの程度成功しているかはデータがないので検証しようがないのですが、過去の習慣を踏まえたダイエットができるのではないかと私は考えます。

 いずれにせよ、理想と現実の間を埋めるには、現在がどうしてこうなったかという過去を振り返る事が大事だと思います。解決策は過去の習慣の悪い点を改めるやり方であれば、精度はかなり高いモノになると思いますし、ある程度試してみて、結果を見て改めていく作業を繰り返していけばある程度の結果は出ると私は思います。今ダイエットをされている方は少し考えてみるのはどうでしょうか?

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2006年2月26日 (日曜日)

で、どうするの?皇室典範

 結局は墓穴を掘った形で幕切れした堀江メールの事件。議論をまともにする前に人の揚げ足ばかり取る事ばかりに集中するから、結局自分で自分の首を絞めることになり、国民からも信頼されなくなる。何をしているのでしょうか?

 それよりも私が危惧するのは本来審議するはずの、耐震偽装対策、BSE対策、皇室典範改正、ライブドア事件がすべてうやむやにされそうな事。きちんと結論を出すべき事をせずに、他のことに目が奪われうやむやになるパターンです。このパターンは前にもありました。郵政民営化などでそればかりクローズアップされ、年金改正の問題がうやむやになったり、その隙に障がい者に関する法律が改正されたりと。今回これにオリンピックでメダルラッシュだったら大変な事態になったと思います。(十分に選手の皆さんはがんばったと思いますが)

 さて友人から「皇室典範改正」について取り上げて欲しいとのリクエストがあったので、私なりの考えを今回は議員の方に代わってと言うと失礼かもしれませんが載せたいと思います。

 私のスタンスは本当に天皇は必要か?そこから始めるべきだと思います。本来そこまで踏み込んだ議論をしなければ、何のための皇室典範改正か分からなくなります。私自身は必要性はないと考えています。象徴というスタンスで現在扱われていますが本当にそうなのでしょうか。例えば北朝鮮の金総書記はあれだけ報道され、名指しで非難されるぐらいですから、北朝鮮の象徴といっていいでしょう。ただ今の天皇陛下がそのような扱いをされていません。確かに世界の王族からも一目置かれ、ローマ法王もあちらから会いに来るぐらいですから重みはあるのかもしれません。しかし国民と国会が本当に象徴として扱ってきたなら、この問題をもっと真正面から考えていたと思います。その点で本当に必要としているのか疑問です。私自身は天皇は必要性がないと思うので、特に皇室典範を改正せずに「男がうまれなかった」という事で消滅しました。という形でいいと思います。

 そういってもいきなりなくすことも難しいと思います。それでは少し話を戻し、残すことを前提に考えるなら、今まで通りに男性天皇を基本として(男系男子)、それが無理なら女性を天皇(男系女子)にして、天皇家との血筋が確認できる旧宮家の男性と結婚し子孫を残すとう手段をとるべきであると思います。そうでなければ存続させる意味はないと思うからです。

 元々大和地方(近畿)の豪族だった天皇家が日本を統治し、室町時代以降権力が弱まり、形上残っていた江戸時代を経て、明治の時代と共に復活し、象徴という形で現代まで残っています。こうして二千年も一族が残っている事、そしてその家系が明確に残されている王族は世界でもありません。背景には、一つはいくつかの宮家があり血筋をさかのぼり天皇が維持してきたこと、大正天皇以前には側室を設けていたことがあります。

 ただ天皇のあり方というのは時代によって大きくゆがめられてきた事実があります。例えば明治天皇は、天皇の神格化という点で、肖像画の扱いにさえ神経をとがらせました。戦時中にも天皇の下の統帥権という扱いで軍の暴走を招き、結果的に敗戦後、アメリカによって現在の天皇制度が作られました。

 宮家を取りつぶし、象徴して天皇は残し60年経った現代。日本人は天皇のあり方を真剣に考えてきたでしょうか。それをしなかったからこそ、今の問題が出てきています。世継ぎが出来ないというしょうもない理由ですが、天皇家のあり方を考える良い機会になったと私は思います。

 皇室で男性が生まれなくなりかなり時間が経っていますが、こうした問題を先送りしたからこそ、今の皇室に大きなプレッシャーとなっていると思います。 この問題についても、色々とサイトを見ると様々な根拠と主張がありますが、結局は血筋をどう継承するかがポイントとなります。となれば今までやってきた事を前提にするのが、理屈としても納得しやすいと思うからです。ただ女性天皇が誕生したとしても、男性側も天皇家の血筋のある宮家を再度創設し、継承できる体制を整えるべきであると考えます。天皇は様々な政を行わなければなりません。その場合女性では不都合のある場合が想定されます。例えば妊娠期間中であるとか、神社などの敷地に立ち入りできない場所があること。こうした理由から代理を行える男性が求められます。そうした役割を血筋がある男性が行うことでカバーできると考えるからです。

 と書きましたが、色々と反論があると思います。例えば旧宮家は半世紀近く皇族としての機能を果たしていないのに戻すのはおかしいといった内容があると思います。ただあくまでも血筋でしか私は考えていません。それ以外で継承とは過去の経緯をみても成り立ち得ないと考えるからです。

 もし秋篠宮家で男性が誕生したとしてもこうした問題(リスク)永久について回ります。今の段階では結果が出るまで、棚上げという形を政府は取ると思いますが、だから今から考えても決して意味のないことではないと思います。徳川家はそのリスクを考え、3つの家を造って、さらに側室(つまり大奥)を設けて血筋を残そうとしました。本当に残す意志があるのなら、きちんと過去の形を踏襲するべきであるというのが私の考えです。しかしこの結論に持って行くには国民がどう判断するかが重要です。だからみなさん自身が考える問題だと思います。今の国会を見るときちんと機能を果たしているとは思えません。本当の国民的議論にするのなら一人一人が考えるべきでしょう。

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2006年2月20日 (月曜日)

日本人はスポーツのどこを見ているだろうか

 その国で盛んなスポーツは一つは国の豊かさも示しているのは前日のブログに書きました。今日はその次にあるの国民性を取り上げたいと思う。

 アメリカを代表するスポーツはアメフト・バスケット・ホッケー・野球である。勿論競技の迫力はどれも十分持ち合わせているが、どの競技にも共通するのは点数がたくさん入り、土壇場での逆転劇が起き、比較的短時間に終わる事。しかも人気に高いスポーツほどその傾向が強い。だからサッカーはアメリカでは今ひとつ人気がない。いかにもアメリカ人らしいと私は感じる。

 では日本ではどうか。勿論相撲は国技であり人気にも話題にもなる。新聞やテレビでは大抵は野球とサッカーの話題が多く取り上げられる。一応集客数や話題性では今でも野球が主役である。野球人気の一つには、見ている年代のスターが多くいる、もしくは自分と同じ世代の選手が活躍していたチームを応援応援していると私は思う。もう一つには野球がピッチャーとバッターとの勝負が一対一という野球独特な要素だと思う。対決の軸がサッカーやラグビーなどのチームワーク命となるスポーツとは決定的に違う点だと思う。そこが日本人に合っているのだと思う。

 しかし私が思うに日本人はスポーツを単に見ているだけでなく、人間性を見ていると思う。例えば苦しい練習を乗り越え、ケガを克服して活躍している姿に感動する。もしその途中で学生なら飲酒や喫煙があったり、プライベートで何かトラブルがあったら例え金メダリストでも全否定される。

 そういえば少し前まで学校の運動系のクラブ活動には間違った精神論がはびこっていた。例えば「水を飲むやつは弱い」「炎天下での過酷に耐えなければ勝つことはできない」など。そういった点でスポーツを楽しむのではなく、精神道の一つであると考えすぎていたように思う。スポーツの起源は軍事訓練だ。バイアスロンのように雪上での軍事訓練の一環だったのが競技になったり、相撲も武士の訓練の一つだった。学校の運動会は軍人の訓練を学校に取り入れたのが始まりである。その点で精神道がはびこるのも無理はない。ようやく最近になって本人が楽しみながらスポーツが出来る環境が整ってきたように思う。自分の試合の結果を素直に喜んでいる姿をアテネオリンピックでは見たように思う。

 でも今回の冬季オリンピックではそうした姿はあまり見られなかった。勿論十分な結果に終わっていない点もあるが、悔しくても素直に表現できない重みがあるようだ。そこには日本人が持つスポーツ論があるように感じる。

 本来選手は結果がすべてで、それで評価され人生が決まる。しかしどうもその過程での人間性を日本人は好きである。そして「メダル・メダル」と連呼するマスコミ。メダルの数を国ごとに集計し数を煽っているのは日本だけである。そんな所ばかり目を向けていては実力が伸ばせる環境は整わないし、選手も国民からの変なプレッシャーが来て今回のような残念な結果と、次世代を担う有力な選手が出ないのではないだろうか。

 スポーツを取り巻く環境も企業スポーツの縮小などで厳しい状況が続いている。その一方で水泳の北島康介やボクシングの亀田三兄弟ようにスポーツを楽しもうとする姿勢をもった選手が増えてきた事はいいことだと思う。こうした選手がもっと現れ日本のウインタースポーツを牽引していって欲しいと思う。

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2006年2月 5日 (日曜日)

鯨を食べますか?

 このブログのバックが鯨だけにタイトルに疑問を持たれる方もいると思う。でも少し読んで考えて欲しい。

 私の住んでいる高知では冠婚葬祭の宴席で大きな器(皿鉢)に豪快に料理を盛りつけた皿鉢料理(さわちりょうり)が出される。刺身や揚げ物、貝、鯖の姿寿司、海苔巻き、など伝統的なものからチャーハンやそうめんなどそれぞれの家庭や仕出し屋によってバリエーションは豊富である。先日知人の宴席に招待され久々に口にした食材があったそれは鯨である。
 

 鯨を食べるのか?と疑問にもたれる方も多いと思う。鯨と言えばシロナガスクジラのような体長が20メートルを超える鯨を想像されると思う。(このブログのバックの鯨のように)ただ、この場合はミンク鯨で、体長は7メートルほど。どちらかと言えばイルカに近い。この鯨は定置網に紛れて捕獲したとの話。実際近年では鯨が網に絡まる事例が多い。たいていの場合は網を切って放す場合が多いが、近年では鯨の数も増え何度も網を切るのも漁師にとっても負担が多い。そこで鯨の肉片を水産庁に送れば流通してもいいそうだ。

 だが鯨は保護の対象で食べるべきでないといいかねない。確かに鯨は商業捕鯨は禁止されていて、店頭で見かける機会はあまりないだろう。しかし高知の魚屋やスーパーでも見かけることがある。先日ある魚屋で鯨肉を売っていた。色と油の具合はまるでカルビのようで店主曰く「すき焼きにすると牛よりもおいしい」とのこと。おいしそうだった。これらの肉は大抵が先程のような網にかかった事例か鯨の生態を調査する為の調査捕鯨で捕獲した鯨である。調査が終了した後肉を有効利用するのも義務だから町中に出るのである。 鯨肉は日本人にとって身近な存在であった。高知の漁村の古い資料などを見れば江戸時代の捕鯨の様子を描いた絵馬や巻物、道具などがある。戦後の食糧難を鯨肉が支えたのも事実。父親の世代はまさにそうで、鯨肉=学校給食の食材というイメージが強いそうである。私が生まれたときにはすでに商業捕鯨は禁止されていたので、高級食材としてのイメージが強い。そして外国の捕鯨反対のニュースも思い浮かべてしまう。ただ欧米人にとって鯨も貴重な資源であった。ペリーが浦賀に来航し開国を要求した「黒船来航」も、捕鯨を行っていたアメリカが燃料の補給をしたいためにやってきたのも事実だ。勿論食用としない欧米の捕鯨は鯨の脂(鯨油)が目的で街灯などに利用され、戦後は石油に代わって利用されなくなった。

 しかし、いつからか鯨が環境のシンボルとなってしまった。鯨を食べるのは野蛮な行為だという非難と共に鯨を守れという運動に発展。商業捕鯨は禁止され、先日は日本大使館に環境保護団体が鯨を置いて抗議したそうだ。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060119-00000126-reu-int.view-000

 しかし、日本人は鯨を大事にしていると私は思う。食用で流通している量は少量である。捕獲した鯨はきちんと残さずに利用してきた。その点で欧米の牛や豚などと同じ扱いをしてきたと私は思う。川や浜辺で鯨が迷い込んでいる(これをストランディングと言う)ならニュースで取り上げられ、救助する光景はよく見たことがあると思う。一方で鯨の生態については分からないことも多い。個体数もきちんと把握されていない。その点で調査捕鯨は有効であり、その資料は貴重な研究結果として利用されている。一方で小型の鯨が大幅に増えて漁業被害も出ており、今後は海洋資源全体での影響も危惧されている。

 持続的な発展というキーワードが盛んに言われているが、持続的な発展が行われるためには人間が生きていける環境と自然環境の調和が必要である。そして人間同士の関係も重要である。この問題は単に鯨が賛成か、反対かという二者択一で片づくような問題ではない。本当に鯨の生態に影響の出ない捕鯨なのか、そして海洋資源全体を通してバランスという視点、そして人間の異なる価値観に対する理解、そうした問題を含んでいる。まずは異なる価値観を相互に受け入れるという事であると思う。それぞれの地域の文化は歴史的意義を含み、その地域の自然環境と関係の上に成り立ってきた。それを一方の文化だけが万能な考え方で世界がまとまる訳がない。宗教という点ではヨーロッパは宗教戦争をしなければ違いを乗り越えることが出来ず、未だにその違いを克服できているとはいない。グローバルな環境は進めば進むほど、ローカルなアイデンティティーが浮き彫りになる。それを相互が理解しなければならない。

 ソニーの創業者盛田昭夫氏の下に部下が辞職願を出したことがある。その理由はこの会社(特に盛田氏であろう)と自分の考え方が合わないものであった。そこで盛田氏は「やめてもらっては困る。あなたの存在の意義は私たちと考え方が異なるからである。同じであればどちらかがいればいい。だから貴方らしさを我が社で発揮してくれ」と言ったそうである。違いを認め、尊重しあう。盛田さんらしい答え方である。国際社会もそういった寛容な考え方がなければ違いは乗り越えられないだろう。

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