つぶやき

2007年12月 9日 (日曜日)

脳で食べる

 スーパーに出向くと食品の産地や生産者について写真やコメントが添えられていることが多い。野菜の品質や鮮度の良さよりも、提供される周辺情報のウエイトが大きくなっているのではないかと思う。大量生産されているのに、そこまで安全性を求めても、どこまで保証できるのか、難しい世の中です。

 お菓子会社や牛肉加工会社・料亭な食品の偽装に関する話題が今年は多かったような気がします。

 自分たちで食べるものを作れない消費者にとって、食品の安全性を担保するものがラベルや企業のモラルにかかっているとは、とても危ういですね。

 しかし食品を選択する際に基準となる情報は本当に正しいのでしょうか。

 例えば船場吉兆では但馬牛を佐賀牛と産地偽装をしていたそうだが、お肉自体の評価は佐賀牛の方が上であるから、我々はいかにブランドや表示によって食を選んでいるかを象徴しているように感じてしまいます。

 別に高級品に限った話ではないのです。お昼のテレビ番組で「これが体にいい」といわれると一斉にブームになったりするのは日常の事。どんな食事でも過剰に摂取すれば毒になるだけで、結局は自分たちで食事でコントロールしていくしかない。そう考えると人は食べるものを舌で味わうのではなく、脳で味わっていると捉えるのが正しいかもしれません。

 昨日、いつものイタリアン料理店で夕食を食べていると隣のお客人がシェフに質問をしていた。そのお客様は店内に置いてあるブロックのチーズを初めてみたらしく、「どこで作られているのか」「チーズによる味の違い」など質問していました。

 料理や素材の裏側を知ることで食べた料理に対する見方が変わります。料理が自分の口元まで運ばれてくる一つのストーリーを読み取るように。自分が心からおいしいと感じられるものを脳で味わうのが一番ではないのかなあと感じた夜でした。

 PS、会社の売店で買ったサンドイッチ。作った人の顔写真が載っていました。こんなものまで脳で味わう必要性はあるのでしょうか?

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2007年7月14日 (土曜日)

食のユニバーサルデザイン

 また、くだらないことでも書きたくなったのではじめました。(まるでラーメン屋の冷やし中華始めましたみたいだけど)

 最近気に入っているイタリアン料理店がある。そこで魚介のピザを注文し、ちょっと感動してしまった。

 P1010002_1

 ピザの端に貝がトッピングされている。だからピザが持ちやすいのだ。意外とどうでも良いように見えるのだが、実際に持ってみると食べやすい。ピザは焼きたては熱くて持ちにくく、手もソースやチーズで汚れてしまう。おまけに持ちづらい。そんな日頃の悩みを解消してくれるのが、このトッピングである。

最近ユニバーサルデザインの商品が多いが食品では結構少ない。これは食のユニバーサルデザインといえるのではないだろうか。

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2007年4月19日 (木曜日)

だめだなあ

 最近ネットのない環境にずっと生活していて、情報に疎くなっている自分がいる。

いつも見ていたブログは大量に更新されているは、知り合いのアーティストはメンバーが抜けるわ、驚きの連続です。

本当は今日はそのアーティストのライブがあったのですが、ネットのないおかげで、スケジュールは確認していないし、予約もできていない・・・

 当日券もないみたいです...  ラストぐらい見たかったなあ(本音)

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2007年4月 3日 (火曜日)

気楽な稼業

 故植木等さんが出演した作品「サラリーマン」シリーズ。サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ。というフレーズは有名です。しかし残念ながらサラリーマンになってみたものの、気楽な稼業ではないことを改めて感じさせられました。

 多分、一番気楽な稼業とは、学生だと思います。

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2007年3月22日 (木曜日)

刺激の受け入れ方

 最近少し考えたことがある。それは人が入ってきた刺激にどう反応、取り入れていくかである。人にはいくつかの段階があるように思う。

 私の姉夫婦には長女がいる。2歳ぐらいの頃だっただろうか。目に入る刺激に敏感に反応していたように思う。お気に入りは「自動販売機」だった。最近の自販機はお金を入れるとボタンが点滅する。それを追いかけて手で触るのを楽しんでいた。

 幼い頃は誰もが、目から入ってくる刺激が楽しい時期である。テレビもよく見るし、水面がキラキラ光っていると手に触れてみたくなる。そうやって外の景色に反応し、記憶を形成する。

 しかし身近な世界の景色は10歳にもなれば見飽きてしまう。つまり入ってきた刺激に対して、反応が鈍くなってしまう。だから新しい刺激を求めるようになる。例えばロックやポップスの音楽に興味を持つようになる。こうした音楽は聞いただけで歌詞を覚えていると、正確なフレーズではない場合がある。だからJ-POPは往々にして早口でわからないと言われる。でもそれぐらいが新しい刺激となって若い世代に受け入れられる。

あるいは深夜ラジオも中高生が一番はまる。あるいはプリクラや絵文字のようなメッセージ性のある画像や文字を使うようになる。はっきり言ってギャル文字や昔のポケベルなんて実用的ではない。遊びの領域だ。でもその楽しさ(刺激)がちょうどいいのだ。この頃は、変わった刺激を求めることと、その刺激を自分も創作する立場にある。それを楽しんでいる。

 今日、卒業式があったのだろうか。制服姿の学生が花束を手に駅のホームにいるのを見かけた。携帯電話はキラキラ光るデコレーションがされていた。やっぱり刺激がある方がいいようだ。でもそんな刺激もやがて飽きてしまう。30代になって、ガングロの人は見かけないし、暴走行為をしている人もいない。私が見かけた学生も社会人となってそんな刺激を求めなくなる。たぶんそのころはまた新しい刺激を、次の世代が作っているのだろうと思う。どんなことが流行るのだろうか。たぶん私には理解できないかもしれないが。

 

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2007年2月26日 (月曜日)

見慣れた光景

 数日前、大学の正門に大学生協の物件紹介の立て札と親子を引率するスタッフを見かけた。4月に入学する学生のアパートを斡旋する光景だった。

 今日、大学周辺を歩いていると軽トラックに机やら家具を載せている光景に出くわした。3月に卒業する学生の引っ越し作業であった。

どちらともこの季節によく見る光景、私にとっては見慣れた春前のいつもの光景である。

でも今年はそんな光景を見る立場ではなく、引っ越しをする当事者になった。

つい4年前は引っ越してくる立場の人間であったのに、もう引っ越す立場になってしまった。そして毎年繰り返される光景の一人となる。来月末には住み慣れた部屋を出ることになっている。この町で、引っ越しの光景を見ながら春を過ごすことがなくなることを考えると、少し寂しさを感じた。

 私の部屋も引っ越してカラになり、次の人がまたやってくる。そして次の人へと・・・

繰り返される光景の一人となりながら、時間は過ぎていく。静かにゆっくりと。

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2007年2月 9日 (金曜日)

イメージと実体のギャップ

 現代人(都会人でもいい)がお世話になっているもの。人によって色々だろうが、ネット、ケイタイの次ぐらいに挙げそうなのがコンビニではないだろうか。

 私のコンビニに対するイメージとは、イメージ戦略と実体のギャップにつきる。

例えばコンビニのコマーシャルやキャッチフレーズは、「フレンドリー」あるいは「やさしい」という類がある。

 >「街のホットステーション○ー○○」

 >「あなたとコンビニ××××ー×ー×」

 >「◆◆◆◆◆◆◆いい気分」

 まあ、こんな感じ。あえて隠さなくても分かるだろうけど。生活にやさしいとか、行きつけの気軽さ、一息入れるスポットのようなイメージを消費者にもってもらいたい、(刷り込みたい)のだろう。

しかし実際、コンビニに足を運んでCM通りの印象を受けるだろうか?残念ながらそう思わない。

 愛想の悪いアルバイト店員・・・・(無表情で袋をネジネジしなくていいのに)

 陳列されている弁当類・・・(食べなくても味の想像がついてしまう)

 入口でたむろする若者・・・(入りにくい、目線を合わせたくない)

 ○○がプロデュースした弁当・・・(いや、味は普通の弁当と変わらないのでは)

 どんなものでもイメージと実体の乖離はあるだろうが、少しズレ過ぎていないだろうか?

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2006年12月28日 (木曜日)

NEXT ?

 みなさんにお世話になり、もう少し続けてみようかと思い始めて・・・

また、とりとめのないことばかり書きつづれば、何か見えてくるかもしないと考えました。

毎日ではないですが、更新できればと思いますので、どうぞよろしく。

NIPPER

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2006年12月18日 (月曜日)

光り物好き

 今の時期では見られないが、夜の街灯には多くの虫が飛び交っている。虫は光に集まっているのだが、本当の光(つまり太陽)ではない。

 でも人も光が大好きである。例えば光り物、女性なら貴金属。男性なら車。

 光りの当たる仕事も好きだ。CA(キャピタルアテンダント)にアナウンサー。

 光る名前も好きだ。同じ会社でもブランドがあるとオーラーがどうたらとか・・・。

でもそれは本当に好きなんだろうか。つまり飛んでいる虫と同じ。たかっている光は本物であろうかと言うこと。

 光っている職場とは単にイメージが良いから良いのか?CAは契約社員でホテルを転々とする。アナウンサーも地道な訓練があって初めて顔を出すことができる。多くのアナウンサーはプロダクション所属の契約だったりする。

 貴金属を集めてもキリがない。むしろ人たった一個のものでもかけがえのない大事な贈り物の方が、心に響く。

 知名度が抜群だからといって社員は安泰ではない。社会的信用を失えばどんな企業でも存続できない。

 でもやっぱり光っているものに集まってしまう。やはりメディアによって美化された面はよく見えてしまう。そういった点で人はやはり虫と同じなのだろうか?せめて脳みそだけはどんな動物よりも大きいのだから本質を見抜きたいが。

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2006年12月13日 (水曜日)

仕事ぶり

 一流の人における仕事ぶりは常に最高の状態をキープする努力にある。いつもそれを感じさせてくれるニュースキャスターがいる。

私が見ているのは衛星放送の経済番組。20分ほどの短い時間ではあるが、主立った経済ニュースや市場の動向、企業や地域の経済に関するリポートなどをコンパクトに伝えている。

その冒頭はキャスターがその日気になったニュースを視聴者の感覚と経済を見る専門家の視点から30秒ほどで語る。だいたいはその内容に関するニュースにつながることから、話の枕としているのだろう。

 先日の水曜日にはキャベツや白菜などの野菜が価格暴落から廃棄処分される話題に触れていた。このキャスターの方が農家出身であり、農家の方が丹誠込めて作った野菜を自分で処分する無念さ語る一方で、消費者は積極的に買うあるいは企業などは大量に消費する側は積極的に使うなど何らかの対策が必要ではないかと指摘していた。

こうしたコメントを聞いた後、農家の方のインタビューを聞くとコメントが無かったときよりも農家の方の思いがよりリアルに伝わってくるからさすがである。

 でもそれが毎日だから大変だと思う。自分があまり関心がなかったり、あるいは知らないこともあるだろう。しかし、そのキャスターはいつも短い時間で的確なコメントをしているからさすが話のプロだと思う。そんな人を自分も見習えたらと思う。

 http://www.nhk.or.jp/saizensen/iwama/061204.html

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2006年11月17日 (金曜日)

上の人からどうぞ

 今日も先日聞いた、県庁職員の方とのお話から。

 お国柄というのは普段意識しないが、別の地域の人と話してその特殊性に気づく。その方が実際に見聞きした、となりのある県職員の行動には驚かされたとか。

 午後5時15分にお役所の仕事は一応終わる。そこで主である知事は帰宅する。

 すると秘書室から副知事室に電話が入る。「知事が今帰りました」と。

 この電話が入ってから副知事が帰ることができる。そして副知事が帰ったのを見計らって課長→係長・・・・・と順番に帰宅できる。ちょっと考えられない習慣だ。

 多分この県庁で働いていたら、上司が昼飯で丼物を頼んだ場合、天ぷら定食みたいな金額が上の料理はとてもじゃないけど注文できないでしょうね。(^_^;)

その他にも縄張り意識が強くて、自分の役職が課長だったら、別の課でも課長の所までしか相手をしてくれないとか。部長に用事があるなら自分の上司に頼んでもらうらしい。

また部局をまたいで会議をする時も、事前に上司から公開してもいい情報と公開してはいけない情報を区別する。つまり相手(と言っても同じ県庁内だが)と駆け引きして、有利な情報を引き出そうとし、同じ職場でも隣のデスク(班・グループ違い)の事もあまり首をつっこまない。

 ちなみヒアリングした職員さんはサンダル履きで、私を関連する部署の部長さんを紹介してくれました。多分ここでは出入りに聖域はないのでしょうね。

そんな県庁だから出来たことが一つ。市町村の財政(お金のやりくり)が厳しくなったのを知ってもらうために、マンガの解説資料を作ってHPで公開してます。ちなみに書いたのはヒアリングに答えてくれた職員の方。

最初は県のマスコットを使って吹き出しで書いていましたが、上司から分かりにくいと言われ、とりあえずラフに二日ぐらいで書上げてみたら採用されたとか・・・ちょっと専門用語が難しいですが、よくできたものです。

出てくる人物(動物ですが)も土佐弁丸出し、さすが亡くなったはらたいらさんに代表されるマンガ王国。でも多分高知だから許されたのでは?知事から順番に帰宅するとなり県ではありえないかも。

興味のある方はのぞいてみてください。

http://www.pref.kochi.jp/~sichoson/kaniban18.pdf 平成18年度予算説明

http://www.pref.kochi.jp/~sichoson/H17kessann_iwatobi.pdf 平成17年度決算説明

http://www.pref.kochi.jp/~sichoson/zaisei.html 高知県市町村振興課

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2006年11月13日 (月曜日)

飲み込んだ側と飲み込まれた側

 今日は研究関連で、県庁の市町村課の方にお話を伺い出かけていました。こういった方とヒアリングをする場合必要な話は当然ですが、その後に業務の裏話など普段聞くことの出来ない世界を垣間見られるのも楽しみでもあります。

 今日お会いした方は市町村の財政を担当されている方で、以前人事交流で別の県に出向していた時期の話が印象的でした。

 その方が派遣された時期が、市町村合併でそれぞれの自治体で話が進んでいる時であったため、特に業務が忙しかったとか。しかし派遣先の県の合併した町役場に出かけると、地元では見られない不思議な光景に出くわすという。それは旧町村同士の職員の区別、強烈な地元意識の壁でした。

 市町村の合併にも対等合併で新しい町になるパターンと、周辺部が大きな市に組み込まれる吸収パターンがあるが、そこは吸収型でした。

すると職員の間で、吸収した側・された側で区別が始まります。合併した側の職員は普通に出世してゆくが、飲み込まれた側の職員は出世も課長補佐止まりで、あまり昇進しない。あるいは食事の時、吸収された地域の職員は、職場でも隅っこに追いやられ、一目見ただけで温度差を感じたとか。

ちなみに高知ではそんな事例は見かけないらしい。別に昇進や職場での比率も特に変わらない。この差はいったい何であろうか、と考えた。

「やっぱり県民性かな?」とその方はおっしゃっていたが、どっちにしろ、誰のために仕事をするのかを考えると、その地域に精通している優秀な人を活用するべきで、飲み込んだ側が偉くて、飲み込まれた側が冷や飯を食うような待遇は問題があるように思うのだが。

そんなに地域間(県同士)で仕事のやり方が違うのに、道州制って混乱するだけじゃないのかなと思って聞いていました。

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2006年11月10日 (金曜日)

第一歩

 最初に納豆を食べた人 よっぽどひもじかったのだろうか?

 最初にウニを食べた人 下手物好きの食生活だったのだろうか?

 最初にコーヒーを飲んだ人 どうしてあんな黒い液体を飲もうと思ったのだろう?

 人は人の得た知識の上に生きている。でもその知はちょっと変わった人の勇気の結晶なのかもしれない。

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2006年11月 3日 (金曜日)

ほったらかし

 こんなにブログをほったらかしにしておくとは・・・申し訳ありません。ここ最近体調が悪く、二日間検査入院しておりました。

 検査の結果は来週出ますのでそれまで安静にします。でもすることもないのでブログは色々書いてみようと思っていますので、程々におつきあいください。        Nipper

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2006年10月28日 (土曜日)

難しく考えなくても

 昨日の話題の続き・・・

そんなに難しく考えなくても、○○姉妹をみればよく分かる。一つ一つのパーツはよく出来ているかも知れない。でもトータルで見ると不自然さが明らかだ。あまりに出来すぎているから変に見える。まあ、その過剰さが彼女達の売りだから仕方ないのだが。

 美しさを追求して、整形(改造に近い?)しているのに、美しく感じられない・・・人間の認識とはこんな程度だろう。

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2006年10月23日 (月曜日)

そうありたい

 「中途半端な知識とプライドが自分の身を滅ぼす最大の要因である」

 中途半端な知識を持ってしまうと、自分が全てを知っていると思いこんでしまう。そうした気持ちが新しく物事を知り得るチャンスを逃してしまい、結局は事実とは違った見方や認識を創り出してしまう。

 大学という閉ざされた空間は、物事をじっくり考えるには良い機会だが、それが社会で通用するとは限らない。「机上の空論」「理想論」で切られてしまうのがオチだ。

 自分の考えやスタンスをじっくり熟成させる一方で、それを実際のフィールドで使うことが必要だと日々思う。

 その時に謙虚さが一番大事だと思う。本当にすばらしい教授(師匠)は、カタカナ言葉や難しい言葉を連発して説明したり、人に語ったりすることはない。ある意味飾らないし、学生のたわいもない質問や意見も聞いてくれる。

 そんな師匠を見ていると、自分もそうありたいと思えてくる。そのためには何が必要だろうか?やはり謙虚さだろうか、そんなことを考える日々がしばらく続きそうだ。

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2006年10月18日 (水曜日)

動くのに、なぜ歩く?

 大きな空港や駅でよく見かける歩く歩道。本来は長距離の移動が大変だから、楽できるように設置している。私もあるとそこで休めるからあるといつも使ってしまう。でもそこで見ていて変だとと思うことがある。。

 こうした歩道には片側を急ぎの人の為に東京なら左、大阪なら右を空けるのがマナーである。そして大抵の人が”動く歩道で歩いている”

 いつも思ってしまうのは、急がないのであればだったら動く歩道で止まっておけばいいのに、どうして動く歩道でさらに歩くのだろうか?無意識の内に自分搔き立てて、急ごうとするのか都会人かな・・・と思えた。

 動く歩道でゆっくりすることでそんなに時間をロスするだろうか。もしかするとゆっくりしているおかげで一本速い電車に乗れるかもしれない。あるいは横断歩道の信号を待たなくていいかもしれない。

 こんな事を言えば、少しでも早く移動して、空いた時間をゆったりすればいいと考える人もいるだろう。それも一理ある。でも私は急ぐときには急いで、その必要性のない普通の時にはゆっくりする方がゆとりがあっていいように感じる。

 ゴムは一度伸ばし、時間がある程度経過してゆるめても元の長さには戻らない。人間の緊張感も同じように思う。働くONの日々が続くと休みのOFFの日にもなんだかんだで用事が入ってしまったりして十分休めないことがよくある。ならばONの間に少し休める時間を設けて緊張感をほどけばいいと思うのだ。動く歩道で急いだ所で、到着時間にさほど差は生まれないはずだ。

 時間をONとOFFを使い分けが忙しい都市の生活では必要ではないだろうか?そんなことも考える暇もないほど忙しいのかもしれない。人のリズムに支配される都会という空間。田舎人の私には動く歩道で歩いている人の光景が変に見えて仕方ないのだが。

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2006年10月16日 (月曜日)

都会と田舎の違い

 ここ二日ほど学生が地域に関わっている報告会に参加する機会を得て感じたことを報告したいと思います。

 土曜日に行われた勉強会では、大学生に田舎と都会どちらで暮らしてみたいかというアンケートを行い田舎のイメージを報告していました。

 アンケートの切口はプライバシーやコンビニの有無、仕事の多様性といった都会にあって田舎にないモノ要素に対し、どれぐらい我満でき、仮にそれらが田舎にあった場合住んでみたいかという内容。結果は大都市部に住んでいる学生程、田舎の生活に比較的我満ができ、田舎出身の学生は自分が住んでいた町よりも、もう少しモノや手段のある都市部に住んでみたいという結果だった。

 一方日曜日に行われた発表会では、地域の自然環境を生かした農業や林業など、都会にはない要素で活動している企業や団体にインターン体験をした学生が、実習から得たこと、今後取り組みたい事を報告していました。

 モノという都会にあって田舎にない要素で見ると、田舎は遅れた辺鄙な存在である。一方自然という要素で見ると都会は荒んだ存在に見えてくる。しかし一方しか計ることの出来ない尺度で本質を説明できるだろうか?私は色々と考えながら学生の発表を聞いていました。 

 そうした中、この疑問に対してヒントになる発言を後輩が発表していた。それは流れるもの速度が都会と田舎では違うと。例えば、田舎では雲や川の流れを時として感じ、都会に行くと人の動く速度や時間の流れを感じると話していました。

 そこで私が思ったのは、都会と田舎は流れや摂理、あるいはコントロールしている相手が自然なのか、人間か決定的に違いではないかと考えました。

 都市の中で目にする建築物や構造物、車や鉄道、口にする食べ物など、すべての要素は人によって産み出され、あるいはコントロールされています。そこに人が集まり大量の情報とモノが提供され流れていく。都市とはすべてが人為的な環境で成り立っているように見えます。

 一方田舎は物事の全てが自然からスタートします。農業や林業、漁業といった一次産業だけでなく、食や住居など生活全般が自然によって供給され成り立っています。だから自然のサイクルの中で人の暮らしが成り立ちます。

 自然のサイクルは四季という短い変化だけでなく、人の命の何倍もの時間をかけ変化してゆきます。山や海は何千万年の時間をかけて今の姿になっています。だから人の速度で成り立つ都会と違って、ゆっくりと物事が流れているように感じるのではないでしょうか。
 
 誰が時間の流れを作っているのか。人なのかあるいは自然なのか。これが都会と田舎の違いそのものだと二日間を通じて感じました。

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2006年9月18日 (月曜日)

白鳥とカルガモ

 人の行動はそれぞれ違うが、いくつかのパターンに分類される。今回は私の持論である「白鳥とカルガモ」のお話をしたいと思う。

 白鳥といえば冬場越冬の為にシベリアなどの寒地から来る渡り鳥です。そのためいくつもえさ場を持っていて、一ヵ所に留まることはりません。一方カルガモは夏場も日本に留まり、ペアーでいつも行動することはご存じだと思います。このふたつの行動パターンはそのまま人にも当てはまります。

 よく女性のグループを見ていると、いつも同じメンバーで行動しているパターンが多く見受けられます。いわゆるなかよしグループです。講義に出席するとき、食事を取るとき、バイトやサークル、はたまた休日までいつも同じ人たちで行動しています。こうした人を私はカルガモタイプと分類しています。こうしたパターンの人は他のグループの人、特に自由にグループを行き来する人に対して、自分がそうできない思いも込めて裏でこそこそすることも多いように思います。そうした人に限って社会や他のタイプの人間に対して無知な面が多い。

 一方行動派の人間に多いのは白鳥タイプの人。自分のメインの居場所以外に、仕事や遊び仲間など、白鳥のようにいくつも池(活動場所)を持っています。こうした人たちは自分の好きなことを自由にやる人が多く、友人も多い。

 しかし、白鳥タイプの人でもやっぱり仲のいい人と接する時間が長く、自分のことを棚に上げて色々人のことをとやかく言っていると、だんだん羽が退化してしまっていつの間にかカルガモになっている人もいます。

 自分の居場所が一つだけだと、悩みを忘れる場所がなかったり、あるいは新しい刺激が入ってくる事も限られてしまいます。常に自分のことを高めていきたい(あるいは人生を楽しんでい)人は白鳥のように大空という世界を舞って、優雅に池という居場所を楽しむと私はなんとなく感じます。あなたはどっちに当てはまると思いますか。

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2006年9月13日 (水曜日)

どっちを取るか?

 都会と田舎の違いは何ですか?と質問されてあなたはどう答えますか?

  • 人がたくさん住んでいる。
  • 山や海といった自然よりもビルやコンクリートの人工物で出来ている
  • 欲しいモノが手に入り、仕事や遊ぶ場がある

 人によって色々な答えがあると思います。私がなるほどと思った答えはちょっと視点が違っていました。

 それは「プライバシーがあるか、ないのか」という事。おもわずなるほどと思いました。

 現代の生活は多種多様な商品やサービスが提供され、私たちはそれを消費することで生活をしています。当然それぞれの価値観で選ぶ訳ですから徐々に生活スタイルや重要視するポイントがバラバラになってきます。その多様性が都市の魅力になります。

 しかしその一方で色々な人間が来る事で価値観や習慣が異なっていたり。カルチャーショック程度であればいいが、下手をするとトラブルも起きる。だから集団としてのまとまりは取りにくくなり、個人の生活を大事にすることになる。

 個人を大事にするときにも、同じ価値観の人ばかりでないから、お金という共通の価値観で解決する。つまり保険を支払ったり、警備会社のサービスを受けたりと。こうして個人の生活やプライバシーを守る。

 一方田舎では色々なサービスをお金を支払って受けているのは都会と同じだけれども、人口が少ないからメンバーが誰なのか分かりやすい。さらに仕事先も限られるから生活パターンも比較的近くなる。そして共同で作業する事で生活していくから、個人よりも集団としての団結が必要になってくる。例えば地域のお祭りや農作業などで。

 その結果田舎ではプライバシーは成り立たない。町を歩いていても大体あの人はどこの家の人といった具合で分かる。

 田舎の強さはプライバシーがないのが保険の代わりになっているからいざという時に助けてくれることがある。それはお互い顔見知りだから。実際外出でも鍵をかけない所も多いし、私が驚いたのは実家で留守中に雨が降って帰ってみると近所の方が干しっぱなしにした洗濯物を取り込んで玄関に入れてくれていた。もし都会でこんな事をやっていたら、住居不法侵入で訴えられるかもしれない。

 プライバシーが保障される代わり保険を支払う都会暮らしか、あるいはプライバシーはないけれど、いざという時に団結のある田舎暮らしか。団塊の世代で定年退職後は田舎に移住したい人がおおいらしいが、そんな所を求めているのかも知れない。

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2006年8月31日 (木曜日)

ちいさな幸せ

 「バカ」も休み休み、と言われるようにほどほどが肝心。その逆もしかり。あまり「真面目」「マジメ」していると、ブログがまるで新聞の社説になってしまいます(^_^;)今日は手抜きではなく、ラフな話題を・・・

 今日は県庁の用事を済ませた後、いつものカフェでゆっくりくつろぎました。こうやってコーヒーを飲みながらゆったり時間を過ごすのは格別だなぁ~と実感。

 さらに今日はコーヒーカップの中に小さな幸せを発見。マスターのちょっとした演出を楽しみました。Image_1

 そういえば最近四葉のクローバーって見かけなくなりました。昔はよくあったのに。ちょっと体の中に自然が足りないことを悟りつつ、カフェタイムを楽しみました。

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2006年8月28日 (月曜日)

いいかげんにしてよ

 最近私のメールアドレス宛に迷惑メールが良く届く。会員登録などで使っている表のアドレスだから問題はないのだが、本当に必要なメールが大量の迷惑メールによって埋もれてしまうので困ったモノだ。

 今日来たメールはこんな感じ。

・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・
・*☆*・・

            お┃嬢┃様┃御┃用┃達┃!┃!┃ 
            ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛   
         す┃べ┃て┃が┃完┃全┃永┃久┃無┃料┃♪┃    
         ━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛━┛  
・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・・*☆*・・*★*・
・*☆*・・
♪お嬢様との大人の出会い♪

          ♪お相手は社長令嬢や箱入り娘など♪

                        ♪時間もお金も余裕のある
方ばかり♪

♪☆★☆★☆★☆そんな方々があなたとの出会いを待ち望んでいます★☆★☆★
☆★☆♪

 
まず、そんな人が待っているとは思えません(-_-) 間違いなく!!普通あなたと特定しておいてCCでいくつも送信するとは思えません。

子ども達に情報化教育といってパソコンとインターネットを教えて情報化だ、と教えている人もいるみたいだが、本当に必要なのは、求めている情報が自分に利益をもたらすのか、そうではないかのかを見極める能力ではないでしょうか。こんなメールが大量に来るというのは少なからず、ひっかかっている人がいる証拠だと思うのですが。人の心理上仕方のないことかもしれませんが。

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2006年8月18日 (金曜日)

アイディアのスタンバイ

 新しい発見はいつどこで巡り会えるか分からない。ニュートンはりんごが落ちる所から万有引力の原理を発見したし、今日私が知った科学者もアイディアのヒントは日常であった。

 今日知った話はコンタクトレンズを開発した科学者。その人が開発でレンズの原料となるシリコンを開発し、人間の角膜にのせて使うレンズを作ろうと日夜研究を重ねていた。しかし、レンズの製造工程で科学者は大きな難問を抱えていた。

 レンズの原料を型に装塡してみるが、どうしてもおわん状の型の中心に原料が集まりレンズにムラが出来てしまう。おまけにレンズのふちがギザギザになり、とても目に入れて使える代物ではなかった。

 開発で行き詰まってしまった科学者が、休憩にいつものカフェでホットコーヒーを飲もうとした。テーブルにコーヒーが運ばれ、その人はミルクを入れて搔き混ぜようとした。その瞬間、彼の目はコーヒーカップのある現象を見過ごさなかった。

 普通コーヒーなどの液体を搔き混ぜると、遠心力の影響で中心が落ち込み周辺が高くなる。そして回す速度が一定であれば、液体の表面は外から中心に向かってなだらかなカーブになる。彼はレンズの原料も、搔き混ぜれば遠心力で均一に原料が広がるのではないかと考えたのだ。

 早速息子の許可を得て、本当はその夜にプレゼントするはずであった、クリスマスプレゼントの組み立てセットを借りて実験装置を作ってみた。出来上がったのはクリスマスの当日。搔き混ぜて作るレンズ製造器の模型は見事に均一に、そしてふちがなめらかなレンズを作ることができた。

 現在でも遠心力の原理を使った方法でコンタクトレンズが作られているから驚きだ。技術やアイディアは過去の積み重ね、改良によって成り立っている。しかし現在の延長線上では解決しない問題もある。突破口となるのは新しいアイディアであったり、発見である。そうした要素をいかに取り込むことができるかがこの開発が成功する要素だったように思う。

 ニュートンにしても、レンズの開発者にしろ何気ない日々の動きから自分の考えの突破口を開くことが出来た。それはリンゴが落ちなくとも、本が落ちれば気づいたかもしれない。あるいはコーヒーを混ぜなくても、ミキサーが搔き混ぜる光景を見れば思いついたかも知れない。

 常に新しい事に取り組もうとする人は、どうしたら出来るのか深く考えている。それだけではなく、別の環境からの刺激を自分に取り込もうとしている。アイディアが常に自分の中にスタンバイしていると言っても良いだろう。そうやっていろんな事に関心を持ち、常に自分に活かそうとする姿勢を持つと、何気ない出来事も新鮮に感じ取ったり、あるいは発見があるかもしれない。そうした生き方をしたいと思いました。

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2006年8月11日 (金曜日)

新しい漢字

 人という字は人間同士支え合うことから出来ていると良く言われますが、漢字には情景を表現した象形文字から、意味を組み合わせたものまで様々で深い意味が込められていると感じるときがあります。

 私が感心してしまうのが、姦しいという字。女が三人いれば確かにそんな気がします。この字を思いついた人の観察力には脱帽です。ならばと私が勝手に思いついたのが男という字を三つ組み合わせた字。そんなのないけど、意味を持たせるとしたら「むさ苦しい」というのはどうでしょうか。姦しいの便乗かもしれませんが、ぜひ普及させたい!!皆さんも色々と考えてみると面白い漢字が出来るかもしれません。出来たらコメント欄で教えて下さいね。

 まあ、今日は作業に追われてネタもなかったのこの辺で勘弁して下さい(>_<)

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2006年8月 9日 (水曜日)

感覚チェック

 昨日は朝から飛行機に乗って大阪に出かけていました。大した用事でもないのですが、日帰りはたとえ飛行機であっても疲れます。高速バスでは高知-大阪間は約5時間かかりますから、バスで行き来している人から言わせればかなり贅沢ですが。

 高知に戻って思ったのが、空港の案内板ってまだパタパタ(正式な名称が分かりません)だったんですね。伊丹もこのタイプでした。羽田など新しいターミナルの空港では電子掲示板に切り替わってきていますね。ところで、これを見てあなたは何を思い浮かべましたか?P1010001_1

1 パタパタと言えば、黒柳徹子と久米宏の「ザ・ベストテン」かパタパタのめざまし時計かな。

2 とくに何も感じない、アナログだな。

 1を選んだ方は多分昭和生まれの方かも、こういったアナログにちょっとノスタルジーを感じてしまうのかもしれません。2を選んだ方は立派な平成世代かも。アナログに古さを感じる世代かも。まあどっちでもいいのですが。

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2006年8月 1日 (火曜日)

まあ、ぼちぼちと

 しばらくお休みにさせていただいた、このブログ。時々、「やめたの~?」との反応も受けつつ考える時間に浸りました。

 これから少しずつですがまた色々と書いてみたいと思いますので、よろしくです。

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2006年7月18日 (火曜日)

本質って

「知っている事だけで物事を済ませている人はは、実はその事に対して何も知っていない(分かっていない)自分自身を己が気づいていない事だ」

 そう言われたときにショックを受けた経験がある。私は色々な事に興味があり、日々新しい情報を追い求めていた時期がある。その時にこの言葉に出会った。そのときに物事の本質って何だろう?と私は考えるようになった。その目線で見ると今の時代は情報が多い分、その本質を考えないようになっているのではないかと思えるようになった。

 道路公団民営化、郵政民営化、官から民へ 小泉内閣では色々なフレーズが繰り返しアピールされてきた。言葉の意味は深く考えず多くの人が彼の主張を受け入れた。でもよく考えてみたらこの言葉にはカラクリが多く存在する。

 道路公団民営化は本来利用者の少ない道路の建設をやめることでムダな税金を使わないように、と国民は理解したはずだった。確かに民営化によって民間会社が建設出来ないと判断したら、道路は建設されない。しかし税金を投入して国と地方自治体によって高速道路は建設される。言葉から想像される事とかけ離れてすぎではないだろうか。

 これはただ事実の一片だから、真実とは異なるかも知れないが知っているだけで物事を済ませるのは危ういと感じさせてくれた。目の前を様々な言葉が飛び交うがその本当の意味をやあり方をよく考えたいと思う。

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2006年5月 2日 (火曜日)

コンパクトな笑い

島国だからだろうか。それとも自然が豊かだろうか。小さな国だが豊かな自然に囲まれた日本人は何にでも小さくすることが好きな人間である。例えばヨーロッパを中心に人気が高まっている盆栽。山や丘をコケを使って表現したり、同じような木を使って林を表現したりと自然の光景を切り取ったような世界観を作っている。私はそうした心意気が好きである。

 特に私が好きなのは究極のワードコメディーである川柳。風刺や笑い、ほほえみ、多彩な情景をわずかな言葉で表現できる奥の深さが気に入っている。
 サラリーマン川柳は毎年行われておりよくニュースでも取り上げられているから皆さんご存じだと思う。

 http://event.dai-ichi-life.co.jp/senryu/  (第一生命 サラリーマン川柳)

 作品を読んでいると、世のお父さん方を取り巻く厳しさをどこか笑いのエッセンスで仕立て上げてしまう言葉の力を感じる。

 これとは別に私がよく読む川柳のコーナーがある。ITに関するテーマの作品を取り上げるこのサイトは、サラ川のように厳しさを笑いで包む作品もあるが、また違ったテイストを楽しませてくれる。

  http://www.nttcom.co.jp/comzine/new/senryu/index.html  (comzine IT川柳)

 例えばサラ川のような作品では
                          「GPS 嫁は安心 オレ不安」
 携帯越しに奥さんの縛りが見えてくるお父さんの心境が伝わってくる作品で気に入っています。

 また今のIT社会を捉えた作品としては
                        「ITが 子どもを守る 通学路」
 思わず、現代の社会を捉えた作品だなと関心させられる一方で、これでいいのかと作者から問いかけがあるように私には感じられます。

 ここまで上手くは作れませんが私も今日のお天気の良さから、一句作ってみました。
                      「早すぎる 夏日の暑さに 降参だ」
 よく考えてみると1字多すぎる・・・(^_^;)まだまだ川柳の道は遠いようです。

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2006年4月22日 (土曜日)

最近見ている番組

 さっき、NHKが深夜放送しているコメディー番組を見ていた。タイトルは「サラリーマンNEO」

http://www.nhk.or.jp/neo/

あのNHKがコメディーを・・・受信料バッシングを受け、民放との競争が原因だろうか。でもちょっと上質な笑いである。例えばビジネスニュースでサラリーマン向けの情報を流していると思いきや、中本・加藤・高木さんのいる職場に志村さんが転籍してきたので、今度はいかりやを募集しているとか・・・(^_^;)テレビ体操のパロディーだろうか。テレビサラリーマン体操をやっていた。サラリーマンのお礼の角度をやっていた。

 あとまじめな番組だが、気軽に見ることが出来る番組として「cool Japan」が気に入っている。

http://www.nhk.or.jp/cooljapan/

 この番組は来日して1年に満たない外国人が日本の中でかっこいい文化を発掘し、世界に発信していくことを目的としている。普段の普通な出来事も外国人にとって新鮮に感じている事、何気ない所にわれわれも知らない意味や文化が込められている発見が面白く感じられる。

 前回は日本の音について取り上げていた。例えばATMの音声案内、外国では機械が音声で案内をしない。駅や街角で流れる音楽。ベルだけではなく音で情報を伝える日本流のやり方。企業の名前を音楽に合わせて流れるTVCM。いわゆるサウンドロゴは日本だけで行われている。 こうした独特の音に情報や意味を込めて使う日本の文化に外国人は新鮮さを感じ「cool」と捉えていた。

 確かに欧米の街角には、スピーカーでアナウンスしたり、店頭でメガホンや拡声器をもった店員は存在しない。どちらかといえば静かである。音つまり声でメッセージを伝えることができるには、日本のような単一民族の社会でしか成り立たない。その点で日本独自の要素かもしれない。

 しかし、渋谷といった町のにぎやかさにはどこかアジアの屋台街のような騒々しさも持ち合わせている。やはりアジアの要素も日本にあるのだと番組を見ながらかんじる事ができた。

 この番組には日本の文化に見せられた外国人を紹介するコーナーがある。今回は日本の狂言に見せられた人を紹介していた。残念ながら出身国を忘れてしまったが、今現在日本の大学に留学しているが狂言の表現の豊かさ、特に擬音語の豊富なバリエーションに見せられたという。彼が帰国し日本語の擬音のまま舞台を行って地元の人に理解してもらったのをきっかけに、本格的に学びたいと今修行にはげんている。

 擬音語は日本語が圧倒的にバリエーションが多いという。日本の漫画の豊かさは音の表現に尽きると私は思う。例えば風を切る音、地割れがする音、モノがはじける音。これは狂言にも共通する。型は決まっているがその表現は自由だから役者の個性が出せると彼は言う。その点で、日本の文化は文字や絵と同様に音を扱ってきたのだと、彼の姿勢を見ながら気づかされた。

 今私たちはどのぐらい日本について理解しているのだろうか。中にいて気づかないこともあるだろうが、日本ってこんな国なんだよと胸を張って言えるように自分の中でこの国のよさを理解したいこの番組を通じて学んだように思う。みなさんも日本のよいところをこの番組を通じて考えてみてはどうだろうか?

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2006年4月15日 (土曜日)

下界の眺め

 今日はとあるカフェで休憩中に撮影した写真をアップ。(写真をクリックで拡大)

Date_1  

 

 ここはとある町にある某サン○クです。2F席からはアーケード街が望め、行き交う人を見ながらゆっくりコーヒーを楽しめます。

 ここが気に入ったのは、下の急いでいる人を後目にゆっくりした時間を過ごせ、優越感に浸ることが出来ること。私がいた時間帯は夕方でした。アーケードを歩いているのは主に下校中の高校生から、自転車に乗ったサラリーマン姿の男性。リクルートスーツできびきびあるく大学生。3~4人でこれから飲み会のようなグループ。下を向いて黙々と歩く人・・・そんな下界の様子を覗きながらコーヒーを楽しんでいる私。

 上でくつろいでいる私も、下で急いで歩いている人も時計の示している時間は同じ筈なのに、時間の過ごし方は違う。なんだが下で歩いている人は、駆け足や自転車を使い忙しそうに見えてなりません。

 どちらにも時間という共通の軸がありながら、時間をどう使うかは人によって違いが出てくることを感じさせてくれます。急いで歩いている人には、これから待ち合わせの約束があるのかもしれません。疲れ切って歩いているサラリーマンには仕事の疲れが重くのしかかっているかも知れません。下を向いているリクルーターは面接がつらかったのかもしれません。そう見ると一人一人の一日は24時間かもしれませんが、その時間の重みは人によって変わってくると感じさせます。

 カフェでのんびりしている私はなんだが、下界に降りて(階段を降りるだけですが)あのスピードに合わせて歩くのは結構すごい事なのだと思えてきます。例えば子どもの時一日が長く感じられ、大人になるに従って日々流れるスピードが速く感じ、1年があっという間に過ぎていくように感じるのも、周りが求めるスピードが速くなり、時間の重みが変わってきているからでしょう。子どもの時には誰かから求められる事が少なく、自分本位で時間を利用できていたのだと私は思います。

 自然のリズム(体内時計)と社会のリズム(時間)とは少しスピードが違います。私たちは普段何気なく予定を入れて、時間を軸にして行動していますが、それと同時に、体と心のリズムも社会のリズムに合わせています。それに疲れてくると鬱になるのでしょうね。だから時々社会のリズムから自分を解放し、自然のリズムに体を合わせるときが必要なのでしょう。わたしにとってそれはカフェでのんびりすることかも知れません。

 下で忙しそうに歩いている人を見ていると、そんなに急いでどうする?と自然に思えてきます。まるで神様になったような気分です。そんな時間に浸ることができ私は少しリラックスすることができました。また疲れたときにはカフェでのんびり自分の時間に浸りたいと思います。

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2006年4月10日 (月曜日)

目の付け所

 さて、長らく更新をせずブックマークをして来て頂く皆様には大変ご迷惑をおかけしました。ヤクルト監督の古田さん程忙しくはないのですが、なんやかんやで更新しておりませんでした。申し訳ございません。

 では今回は東京である会社でうかがった面白いお話をしたいと思います。目の付け所がやっぱり違うなぁ~と思わされた内容です。

 それはカーナビを初めて開発した会社で伺ったお話。カーナビってもう車の必需品ですよね。ちょっと調べてみると車上荒らしの35%がカーナビ目的だとか。参考記事 http://www.narinari.com/Nd/2006045803.html?xml 

 確かに安くはなったとは言え結構な買い物ですから狙われるのは当然です。最近では大容量のHDDを搭載したり、話題の地上デジタル放送やワンセグが受信できる機種など、ナビ以外の機能も充実しているから、当然狙われるでしょう。

 そのカーナビを開発したメーカーに、開発の動機を聞くチャンスがありました。その会社はカーオーディオを製造しており、「車の環境を快適にしたい」という思いから当時軍事用技術であった、GPS(米国の軍事衛星)を利用したナビゲーションシステムを開発したそうです。今となっては携帯やかばんにまで搭載されるほどコンパクトになった技術ですが当時は誤差や機械の大きさから開発は無理と思われていたそうです。

 さてナビを開発したその会社には、製品が普及すればするほど色々な要望がユーザーから寄せられるようになりました。例えばバス会社から、高さ規制を組み込んでほしいという要望。地図上では通行できても高架下など、大型車が通行できないところは結構あります。大抵の場合、ドライバー同士が情報を交換してルートを確認する以外に方法がなくナビにその情報を搭載してほしいとのことでした。これはすでに業務用で搭載されているそうです。

 二つ目には消防署から、消防栓の位置を知らせてほしいとの要望がありました。確かに消防署にとってはあると便利でしょうね。ただこれは道路工事などで場所が変わり、無数にあることから却下。ちょっと無理だったようです。

 こうしてこの会社のナビにはユーザーの意見が最も集まり(ユーザーから認知されている証拠でしょう)、現在でもトップシェアを誇っています。最初に手がけるメーカーは確かに市場開拓で苦戦するでしょうが、市場が成り立てばユーザーからも認知されて改良がどんどん進むのでしょう。

 ではその会社は次にどのような製品を作るつもりなのでしょうか。これが目の付け所が違うと一番思わされたところです。なんと、気分によって自動的に選曲してくれるカーオーディオを開発しているとか。

 仕組みは、まず音楽をHDDに1000曲程保存し、曲のスピードやジャンルから明るい曲・さびしい曲と自動的に振り分けます。次に天候や温度、運転者の血流やまばたきなどから(詳細は詳しく教えてくれず・・・)その時の心理状態に最適な音楽を自動的に流してくれるのだとか。もちろん「さびしい曲」と言えば自動的に選曲してくれます。

 おそらく雨雲が立ち込め、遠くで雷が鳴り、雨がしとしとと降る夕暮れに、ため息でもつけば「バラード」が流れると思います。余計気分が滅入りそう。

 でも快適な車内空間を作りたい技術者の目の着けどころはやはり違うのだな、と思わされる話でした。

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2006年3月23日 (木曜日)

小さく美しく

 DVDやデジタルオーディオなどデジタル機器は我々の身の回りに普及し、身近でなくてはならない存在となっている。そうした機器で取り扱われる情報の量は日ごと増える一方である。少し前まで、データの受け渡しはフロッピーディスクで当たり前のように行われていた。しかし今ではすっかり見ることもなくなり、引き出しの奥の方においやられてしまっていないだろうか。GB単位のデータをディスクやメモリーに記録する時代。すでにHDDレコーダーの分野では1000GB=1TBクラスの製品も出ている。こう見ればデータば爆発的に増えていると思われるが、データを圧縮する技術も進化し活躍している。今回は圧縮技術のカラクリを簡単に紹介したい。

 みなさんが持っているポータブルオーディオプレーヤー(例えばi-pod)の容量はどのぐらいだろうか?私は4GBのタイプを使用している。一方でCD1枚は800MBの情報量がある。単純に言えばCD5枚程で一杯になる計算だ。ここで音を圧縮する作業をすることで、20枚以上のCDを記録することが可能となっている。

 ではどうやって圧縮するのだろう。これには人の耳の特徴を利用する事で可能となっている。あなたにはこんな経験がないだろうか。静かな夜、時計の針の音が聞こえるぐらいの静かな場所にいて、急に車の音が聞こえた場合に、車の音に時計の音がかき消されたと普通は言う。しかし時計は止まってはいないので音は出している。つまり人は小さい音よりも、大きな音に敏感に反応している証拠だ。

 音の大小だけではない。高音・低音の反応も異なる。同じボリュームであっても高い音には敏感に反応する。だから人の悲鳴は、人の耳が反応しやすい高い音だから理にかなっている。例えば自転車のブレーキの音、発泡スチロールが擦れる音、黒板を爪でひっかく音。人にとって不快な音も高い音が多い。つまり敏感に反応している証拠である。

 このように大きな音や敏感に反応する音を優先し、前後する小さな音を削る事でデータ量全体を1/10まで圧縮することで、携帯オーディオや着信メロディーなどは成り立っている。では映像はどうやって圧縮しているのだろうか?

 ではニュース番組を例にして紹介したい。だいたいの番組の冒頭、キャスターが一礼して話し始める。この時カメラが動かないと想定すると、動いているのはキャスターだけ。後ろのセットは動いていない。そこで映像の中で動かない所は1度読み込んで、利用し続ける。動くキャスターだけどう動いたかを記録する。信号を受信する側は、動かない背景を何度も使いながら、動くキャスターの画像を重ね合わせる事で、画像を復元する。だから情報量を少なく押さえることができる。

 もう一つDVDなどで使われる手法として、シーンによって情報量を変える方法がある。ディスクなど容量が限られる場合には、効率よく記録して画質をよくする。例えば格闘シーンのように、人が激しく動く場合や画面全体に動きが多い場合にはあまり圧縮せずに画質を保つ。一方でキスシーンのようにあまり動かない場面では圧縮をかけて少ない情報に押さえることで、全体の容量のバランスを保つようにしている。

 こうして大容量の記録が可能になっているのです。圧縮の技術も日進月歩。日々新しい技術が生まれてしますが、技術も大事ですが利用する本質(映像を通じて味わう感動や興奮)を大事した規格や商品であって欲しいと思う。少しばかり、現在はメーカーの利権争いでそうした点が置き去りにされているように、現在の次世代DVDの展開を見ると感じます。

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2006年3月 5日 (日曜日)

三月ですね。

 もう3月になって4日目。少し夜も寒さが緩んできただろうか。コートは必要な程ではないし、息が白く手がかじかむ程ではなくなってきた高知。でも天気は安定しない、晴れの日があれば雨の日が交互にやってきる。三寒四温とでも言うべきか。祖母はこの時期を「木の芽起こし」だねと言っていた。一雨降る事に木の芽が芽吹いてきて春が近づいてくるということらしい。確かに梅の花は見かけたし、月末には桜も開花するだろう。

 そういえば民間の予報と気象庁で桜の開花予報が異なるとニュースにあったが、たかが桜の花の開花ぐらいでニュースになる。イギリスでバラの花の開花が遅れるぐらいでニュースになるだろうか。やっぱり日本人は自然の移り変わりに自分を重ねているのだろうか。

 今日は帰りが遅かったのと疲れたのでこの辺で。明日はきちんと書きたいと思います。

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2006年2月28日 (火曜日)

また選ぶんですか。

 今日は私の友人に頼まれていたオリンピックフィギアスケートのエキシビジョンをダビングしたビデオテープを渡した。それを渡たし終えてから思ったのは、多分ビデオテープを使うのは私たちの世代が最後だということだった。

 家庭用ビデオはソニーが1975年にベータ方式、翌年に日本ビクターがVHS方式を発売し史上初のフォーマット戦争となった。家電メーカーはどちらかの方式に分裂し、製品ラッシュが続いた。おかげで技術的な進化と、低価格化が進んだ結果、2時間という実用的な録画時間にしたVHS方式が世界標準となった。私の家にビデオデッキが来た時にはすでにVHS方式だったように記憶している。だから今の大学生でベータを知っているのは機器マニアであることに間違いない。

 このベーター・VHS戦争を知らない世代も、巻き込まれそうなのが次世代DVDを巡る戦争である。現行のDVDではデジタルハイビジョン放送をそのままのQualityでは保存できない。事実、今普及している大画面テレビでDVDに録画した番組を見ると、放送時との画質の違いに落胆してしまう。だからハイビジョン放送に対応した、次世代DVDが必要となってくる。

 しかしこの規格を巡り、DVDを開発した東芝を主導とするHD-DVD規格と、ソニー・松下などの家電メーカーを中心とするBlue-ray規格が対立している。今回は家庭用のビデオだけでなく、パソコンのメディアや家庭用ゲーム機の記録メディアとしても利用されることが決まっているため、家電・PC・ゲームといった幅広い産業に関連し合うから話は複雑だ。事実マイクロソフトは次世代のwindowsのOSとゲーム機のX-BOXにHD-DVDを採用する。一方PCで有名なHPはblue-rayを採用し、ソニーは次世代のゲーム機PS-3にも採用する。

 こちらでは利用できるが、こちらでは利用できない。なんとも不条理なシーンがこれから出てくるかも知れない。ただ唯一救いなのは、HD・Blueにしても同じ12センチの光ディスクだから、単純に言えばモータは共通で読み取り部分だけ2つあれば両方対応できるということである。ただ価格は大変なことになると思うが。

 こうした不条理が進んでいるが、私のようにAV・ITが好きな人から見れば、今色々なメディアが切り替わっている時期だと思う。

 例えばカセットテープは完全にMDやボイスレコーダーに取って代わられ実際に使う事は少なくなった。カセットからウォークマンの主役を奪ったMDもI-podをはじめとするデジタルオーディオプレーヤーに切り替わっている。VHSもDVDへと移り変わっている。こうしたメディア以外にも、例えばテレビ放送がアナログ波からデジタル波に切り替わり、ISDNやADSLが光ファイバーへと変わったりと様々な分野での切り替えが進んでいる。

 ただここで注目するべきはメディアの寿命が短くなっていることである。例えばレコードは100年前にエジソンが発明し、それから音楽を吹き込んだ円盤形が登場し、音楽文化が花開いた。それがCDに取って代わられたのは約20年前である。つまりレコードの時代は80年間である。オーディオ用のカセットも1970年代に発売され、2000年頃にMDと交代するから、約30年間の寿命である。

 その一方でデジタルメディアの寿命は短い。例えばMDは1992年に発売され最近では携帯オーディオプレーヤーに主役を取られた。その期間はわずか10年足らず。DVDは1996年に発売されてようやくレコーダー規格も浸透してきたが、4月に東芝が次世代DVDのハードを投入するニュースが流れた。となれば10年もしない間に次世代規格に切り替わっていく可能性は高い。家庭用のビデオカメラのテープも8ミリからデジタルテープへ、それからDVDやHDDへとどんどん変わっている。

 まだマウスがほどんど使えず、なんとかコマンドを覚えてパソコンをいじっていた時から私はパソコンやデジタルメディアのお世話になっていたが、その当時誰もがパソコンを使うとは思いも寄らなかった。ネットカフェが出来るとは想像できなかった。ビデオとつないで編集をすることなど夢にも思わなかった。そう考えるとこの10数年の進歩はめざましいものがある。だから技術の進歩は認める。事実その恩恵にあずかっている。しかしメディアをどんどん変えて機械を売ろうとするメーカーには社会的責任を自覚してもらいたい。世界中にはMDのハードだけで累計1億台存在する。ビデオデッキに至っては8億台もありテープは300億巻もあるという。もちろん全部が残っているわけでなく、カビなどで劣化が進んでいるモノも多いと思う。しかしそこに記録されたデーターはアナログかデジタル信号かもしれないが、かけがえのない記憶もあるのである。

 目の前の機械がすべて入れ替わると確かにメーカーは儲かると思う。その切り替えが画期的であれば我々も反対はしない。それを繰り返すことによって我々の今の便利さが成り立っている。しかしそこにビジネスチャンスがあるからと、メーカーの利権争いをされては消費者は困る。その一方で切り替わり使えなくなるメディアがこれからより増えてくることが懸念される。規格を提唱したメーカーや団体は責任を持ってアフターフォローをしてもらいたいと思う。

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2006年2月23日 (木曜日)

満たされる時間

今日病院からの帰り道に、ふとCDショップの前で足が止まった。「何か忘れているような・・・」と思った次の瞬間にはお店に入りアルバムのコーナーを血眼になって探していた。今日は私の好きなアーティストであるSillyのアルバムが発売日であった事が頭を空け巡ったからだ。実際あるかどうか心配だったが発見して一安心。さっそく家に帰りご自慢のオーディオシステムでじっくり聴くことにした。私は「not alone」が気に入った!!

 私は音楽の知識はたいしたものを持ち合わせていないから、どちらかと言えば感覚で聴いている。大それた批評はできないので抽象的で申し訳ないが、Sillyの作品は全体を通して、前向きで明るい気持ちにさせてくれる。これは私が持っている3枚のアルバムを通しての感想である。そして今回のアルバムはその完成度がさらに高まったように感じた。

 小説や音楽といった芸術作品のデビュー作には、作家やアーティストの今後の方向性が未完成のまま詰まっていると私は思う。作品の数を重ねることで色々な可能性を模索しながら、自分らしさを確立させていく。その課程をたどるのも結構楽しい。その点で、Sillyの作品は最初からQualityが高く、今回のアルバムも私が勝手に思う彼ららしさである「前向きさと明るさ」が出ているように感じた。私にとって少し早い春が来たような気持ちにさせてくれたSillyのメンバーに感謝したい。

 ではSillyの新しいアルバムの「Public Property」を聞きながら次回のブログのネタでも考えます。

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2006年2月22日 (水曜日)

テレビに溺れる視聴者

 先日私の好きなアーティストの一人である柴田淳のプロモーションビデオを見ていた。DVDの作品は大抵特典として収録の舞台裏なども収められている。本編を堪能したので、メイキング映像を見てみた。しかしそれを見て私から出るのは「ため息」ばかり。例えば本人が歌っている場所がアパートの一室だと思っていると実はスタジオで、窓から見える景色は実は写真だったりする。その他映像の本編で外壁だと思っていた壁はベニヤ板で出来ていたり。ある意味スタッフの人が作り上げた世界が曲とマッチして、無意識の間に本当の世界だと思うことができたと言える。これほどの世界を作り上げるプロの技術には脱帽だが、自分が映像を見て想像していた世界が虚構であった脱力感を味わった。

 しかし、テレビにしろ小説にしろフィクションでありそうでなさそうな所がいいと思う。いつも人はファンタジーを求めるし、テレビや本で人の感情の揺れ動きを楽しみ、日頃味わえない世界に浸る。それが生きていくための活力にもなる。

 ただ活字の世界と映像の世界は与える影響力が決定的に異なる。活字であれば字を自分の頭の中でイメージしてその世界に浸る。一方テレビでイメージが具体的に現れ、頭の中にそのまま残る。解釈の仕方など個人差はあるものの伝えたい世界をダイレクトに伝えることが出来る。

 一方で作られたイメージを本物として見てしまう事がテレビの怖いところである。これは実例だが、あるドキュメンタリー番組で流れている曲が視聴者の心を捉え、長期間売れた。その曲調はどちらかと言えば荒々しく、壮大な曲である。またプロモーションビデオで映し出される歌手も、曲調に合わせた演出の元で歌っている。しかし、それが本人そのものだと勘違いした視聴者(この番組の場合サラリーマンが多かった)がその人のライブに大量に押しかけて落胆したそうだ。実際に歌手の人は朗らかで明るい人で曲のイメージとは正反対であったからだ。

 これ以外にもテレビで演じている役柄がその人自身の人柄とも相まってイメージが固定化されるケースもある。例えば昼のドラマに出ている役者さんで、役柄が悪役ばかり担当している人も結構いる。しかし実際に本人とは違っているケースが大半である。しかし世間の認知は役柄で「きつそうな人」「怖そうな人」と判断する。これがイメージと実在とのギャップであろう。

 それだけでなく非現実に酔う人もいる。例えば最近では認知されるようになった「萌え」という言葉。これは本来はテレビやアニメを通じて性的衝動を男性が感じている事を示す言葉であった。ある意味テレビという作られた非現実の社会に現実を重ね合わせているからこうした行動に発展する。これが行き過ぎると現実と非現実が区別できなくなり、社会から引き離された「引きこもり」に陥る人もいる。

 テレビは電源を切ればその世界は消える。でも人の頭にインプットされた世界はそのまま残る。例えその世界が虚構であっても。これはオタクやAKIBA系の人だけの事ではない。韓国系のドラマにはまって、まったく家のことを顧みない主婦の人にも当てはまる。韓国では人間的な評価が低く、あまり売れていない俳優でも、日本に来ると役柄のイメージで受け入れられ売れている人もいる。「ほほえみの貴公子」なんて言われているが、私に言わせれば笑っていればお金が入るから「笑いが止まらない」だけだと思うが。

 テレビの力は我々があまり意識しないが大きな影響力を持っている。ある時はマンション偽造、ある時は郵政解散、ある時はオリンピック、ある時はメールの偽装。次々流される言葉に踊らされてはいないだろうか。今上げた例は確かに現実の問題だが、それだけに目が集中して大事なことを見失っていないだろうか。メディアリテラシーという言葉がある。受け手が流れてくる情報を判断できるかを示している。これほど情報が洪水のように押し寄せる中、受け手がどう情報を判断するかという能力も鍛えていく必要があると私は思う。でなければ我々視聴者はテレビに溺れ、現実を見ることの出来ない人間になってしまうのではないかと思うからだ。

 すべてを疑ってかかる訳にはいかないが、鵜呑みにしないこと。ファンタジーも時々あっていいと思うが、浸りすぎないこと。ハードやシステムが強大になればなるほど、問われるのは常に人であるとつくづく思う。これだけは機械では解決できない。そのバランスが難しいと思いながら、DVDを見終えた。非現実に酔うのもいいことだが、テレビを切って「あ~あ、面白かった」程度で済ませたい。

 さて私が楽しんだ柴田淳さんのプロモーションビデオはこちらでご覧になれますので、一度見て下さい。http://www.barks.jp/watch/?v=1&id=52025228

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2006年1月23日 (月曜日)

「だいち」打ち上げに願うこと

 23日に日本の陸地観測衛星「ALOS」(だいち)が打ち上げられる。無事打ち上げられてミッションが成功することを祈るばかりである。

 宇宙開発は様々なシーンで我々の生活と密着している。気象観測でなくてはならない衛星画像。「ひまわり」の名前を聞かない天気予報は考えられない。世界各地と日本をつなぐ通信衛星。リアルタイムで放送を宇宙から届ける衛星放送。それだけでなく、宇宙から地球観測を行う衛星、X線や放射線など天文観測を行う衛星、衛星の種類も多種多様である。それぞれの国によって強い領域があるが、アメリカは総花的でスペースシャトルや衛星探査からGPS衛星のようにありとあらゆる領域で活動している。欧州もアメリカのように自前でGPS衛星を打ち上げ、衛星探査や通信・気象観測など領域を広げようとしている。我が日本はどうだろうか。どちらかと言えば予算や人員の点から総花的な活動はできないが、地球観測や天文観測などオンリーワンを目指している。

 宇宙開発にはその国の技術力が表される。正確な打ち上げ、素材などの開発力、軌道計算、追尾その一つ一つに科学力が示される。科学力は言い換えれば軍事力につながる。米・ソが宇宙開発にしのぎを削っていたのも、ロケットなどの技術は軍事要素が強いからであり、宇宙を舞台とした防衛構想(Star Wars計画)もあったことは有名である。一方平和利用の原則で日本は宇宙開発を進めてきた。だから今回の衛星も陸地を観測する能力は軍事衛星から見ると劣る。地図や環境観測であればその程度の能力でも十分という判断だからだ。

 我々は何も気にせずナビゲーションシステムを利用する。ここまで普及したのは日本の技術力もある。この技術が開発された当時、受信機器が大きすぎて一般には利用できないだろうと考えられていた。そこで日本のメーカーが送信・受信機を小型化して、位地の誤差を修正する機能を搭載し、今のGPSを利用したナビゲーションシステムが完成した。

 平和利用という利用方法は大変有益である。GPS衛星は軍事目的で打ち上げられ、現在でもその用途で利用されているが、一般に開放され多くの人々が利用することによって生活を変え、技術革新をもたらし新たな可能性を開いたと思う。カーナビゲーションや携帯電話に搭載され、単なる地図端末ではなく安否確認などにも利用されるようになった。また科学用途にも利用され地層のズレを観測し、地震予知などに活かす研究活動も行われるようになった。こうした活動によって得られた成果は、軍事用途で利用されるより価値があるのではないだろうか。

 勿論安全保障の点での軍事利用は私は否定しない。ただ平和利用に重きを置いた日本の宇宙開発は他国にない可能性を開いていると思う。気象観測衛星「ひまわり」が撮影する映像は日本だけでなくアジア各国の気象観測に利用され、世界の気象観測によっても重要な活動を行っている。地球観測衛星は世界中の地理観測に活用され、災害や人間の活動による地球環境の変化を観察し続けている。今回の衛星ではアジア各国の地図製作にも利用されるとの事、天然資源を管理・保全に地図が役立てればと思う。天体観測衛星も世界中の研究機関と共同で観測を行い、データは広く世界中の研究者に公開されている。これも立派な国際貢献である。

 近年宇宙開発の失敗がクローズアップされ、そのたびにメディアによるバッシングが行われた。確かに一度の失敗ではないし、損失の額も何百億円単位となる。しかし軍事的裏付けのない日本の宇宙開発は他国より、人的・物的・金銭的な面で厳しい。中国のような有人宇宙飛行はしばらくは無理であろう。しかしこうした日本の活動が求められ、世界で評価されている限り自国で活動することは有益であると思う。日本の威信よりも世界から求められる日本の宇宙開発が前進するように「だいち」に期待したい。

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2006年1月19日 (木曜日)

戦略のまずさ

 皆さんの町の有名人は誰だろうか。スポーツ選手、芸能人や歴史上の人物など様々だが地域の顔であることは確かである。例えば帰郷すればニュースになるだろうし、駅前などに銅像などがあるかもしれない。

 さて私が住む高知県の有名人は多分「坂本龍馬」を挙げる人が多いと思う。その他にも板垣退助、中江兆民、植木枝盛などの自由民権運動で活躍した人物もいるが、彼の認知度は飛び抜けている。銅像がある桂浜は有名であるし、空港の名前も「高知龍馬空港」に変更した。彼を尊敬する人は多いだろうが、意外にも高知県民にはそういった人が少ない。このギャップはどこから来るのだろうか。

 地元の人物が好きであるとか誇りに感じるのは当然である。新しい社会を切り開こうと時代を駆け抜けた龍馬を、高知県民も誇りに思わない人はいないと思う。ではどうして彼を好きな人があまり多くないのか。私は彼をどう活かしてきたのかにあると思う。

 例えば鹿児島では西郷隆盛が有名である。彼が最後に戦い、自害した所など関連する場所も多くある。地元で活躍したという点で愛されているというのも一つの要素であると思う。龍馬の場合、脱藩(現代では国籍を捨てる)して主に京都などで活動していたから、地元がフィールドでなかった所もあるとおもうが、それだけではなさそうだ。

 郷土の人物が色々なところで活用されているのはどこも同じである。おみやげのお菓子になったり、キャラクターに利用されたり多種多様。でもいつもいつも使われるとイヤになってしまう。高知の場合あまりにも龍馬を利用しすぎた感がある。市長が行事で龍馬になりきったり、子ども達の交通安全を呼びかけるキャラクター、かぶり物で行事に参加し、ついに空港の名称まで。県民の多くはこの空港名称に疑問を持っている。そんなに変える必要性があったのか、人名空港は諸外国に存在するが、それから見ても龍馬ではローカル過ぎるような気がする。

 どちらかと言えば高知県の行政のやり方はキャラクターや人物に頼る傾向がある。観光で言えばこれまで坂本龍馬が顔として知名度を利用して展開したが、観光地との連携もなくそれだけで終わってしまっている。さらに最近はやなせたかしさんも多用されている。アンパンマンで有名なやなせさんは高知県出身の漫画家。第三セクターのごめん・なはり線の駅にはやなせさんがデザインしたキャラクターが描かれている。ここではキャラクターと沿線地域と連動した企画などが行われているが、やなせさんのキャラクターが多用され過ぎている。例えば大河ドラマ「功名が辻」の放送に合わせて、主人公の山内一豊と千代のキャラクターをのぼりにして至る所に飾り、この機会を通じて土佐藩山内家をアピールしたいみたいだ。しかしキャラクターもアンパンマンで見れば分かるように単調なデザインである。お世辞にも愛着が沸くとは思えない。やなせ氏は地元への貢献を考えてデザイン料などは取らないそうだ。確かにそれは立派ではあるが、それを逆手に取って何でもかんでも彼のキャラクターばかりになるもの画一的過ぎないだろうか。

 高知県はたいした観光資源もなく観光客数は年々減少している。以前からの観光地では閑散とした所が多く、そうした地域は少子高齢化で街全体ににぎわいがない。こうした現状に使い古された郷土の有名人とキャラクター。現状にたいしてちぐはぐな戦略が今の停滞を物語っている。もっと足元の自然・人的資源を活用した交流が、次世代の地域を担う人材を活かす事にもなるのではないだろうか。人と討論することを好む県民性は人と交流を何よりも大事にしている。どこに言っても暖かく迎えてくれる。このハートを活かすことが本当の交流を産み出す要素だと思うのだが。

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2006年1月 3日 (火曜日)

デジタル家電 行き着く先は

 コメントありがとう。確かにこのデザインは私も気に入っています!!

 さて今回はデジタル機器について。様々な機器がデジタルに切り替わり今までプロの領域であった技術が簡単に使えるなった。インターネットも本来はアメリカの軍事機関で使用された通信技術であることは知っていると思う。そして使いやすく進化し様々な人が活用しているのもデジタル化のおかげである。

 今の景気の良さの一つにデジタル景気が挙げられる。デジタルカメラ・DVDレコーダー・薄型テレビの普及が大きな要因である。このどれかは皆さんの家にあると思う。私は薄型テレビ以外は持っている。テレビは画質の面で不満が残るから買っていない。ブラウン管の長所が生かされたSED方式がまもなく発売される。実際にIT博で見たが、プラズマも液晶もぶっ飛ぶぐらいの高画質である。これが出るまで32型のハイビジョンブラウン管で我慢している。

 さてデジタル機器がここまで人々に受け入れられたのは、私はパソコンの普及から視覚的操作が可能となっている点だと思う。例えばDVDレコーダーとビデオデッキの違いで見てみよう。例えば番組の予約なら以前のビデオデッキでは予約をテレビ欄とリモコンのにらめっこだった。開始時間、収録時間、チャンネル、モードを手入力していた。Gコードも開発され11桁を入力すれば予約できるようになったが、対応していない機種も多かった。何よりリモコンや本体のボタンの数。どれを押せばいいのか分からない。しかしDVDレコーダーではEPG(電子番組表)によりリモコンでスクロールしながら矢印を動かして、予約が簡単にできる。勿論プレイリストで簡単に映像を呼び出せたりする点も便利だ。この点は意識せずに使っているがデジタルの機器の豊富な機能を使いこなす特徴だと言える。

 二つめには大容量、高速アクセスである。カセットオーディオの時代、男性はデートでどんな音楽を車で流そうと色々考えていたと思う。今ではデジタルオーディオで選曲で苦労することは以前ほど悩むことはないだろう。(プレイリストでどれを流すか、曲数が多すぎて困るかも知れないが)つまり大容量の映像や音楽を手軽に持ち歩くことができるようになった。早送りにいらいらしていたのはもはや過去。高速アクセスにより難なく選ぶことができる。無論劣化がないのもあるが、これらが関連し合いデジタル機器の良さを支えていると思う。

 ただデジタル機器はまだまだ使いこなせない人も多い。メーカー各種は黒電話並みの操作性にしたいと意気込んでいる。多くの人が日常で使うためには越えなければならないハードルだ。果たしてどこまで簡単になるのか。単に画面を見ながら操作できるだけでなく、シンプルに本当に必要な機能だけに絞り込むことも大事だ。いかに高い値段で売れるか。メーカーはあの手この手で機能を詰め込んで単価を上げようとしている。しかしその価値は本当に価値があるのだろうか。説明書は見るだけでうんざりでほとんどの人がとりあえず使えればいいと最初だけ見て終わっているだろう。

 本当の高付加価値とはなにか。私は時計が端的に表している。高級時計に温度やストップウォッチは搭載されてない。使用されている材料が高級だったり、職人の匠の技術などに希少価値にウエイトが置かれる。今高齢者向けのシンプルな携帯が売れているそうだが、あまりにも格好悪い。もっと購入な素材や職人の技などを活かした製品が出れば多くの人が躊躇せずに買うだろうに。なにしろ高齢者はお金を持っている。この人達の満足をいかに引き出せるか。高齢者の心を的確につかめればこれからの社会は安泰だ。いずれ外国にも少子高齢化は広がる。その頃には高齢化の社会はこうあるべきだ、というモデルを日本が作ることができる。これが高齢化先進国である日本の役目ではないだろうか。

 まだデジタル製品も高齢化社会もどうなあるか分からない。だからこそ可能性が詰まっている。この金の鉱脈を見る蹴ることができるか、デジタル家電はその意味でこれからの展開に期待したい。

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